2022年9月7日水曜日

仁平勝「こころもち向き合ふやうに雛飾る」(『俳句がよくわかる文法講座』より)・・


 井上泰至・堀切克洋『俳句がよくわかる文法講座』(文学通信)、副題に「詠む・読むためのヒント/単に公式に当てはめるだけではな、文法理解のために」と惹句されている。「あとがき」は井上泰至、それには、


 本書の「はじめ」から第三章までは、『俳壇』誌に連載中の「俳句文法 そこが問題、そこがポイント」の、初回から七回目(二〇二二年一~七月号)までを編集・増補したものです。


 ということで、本書の第4章から14章までは、共著者である堀切克洋が執筆している。本書の特徴は、これまでの俳句入門、文法書にはない、近年の俳句作品、若い俳人の俳句を、例句として、幅広く博捜していることだろう。この点については、「あとがき」にも述べられているが、


(前略)この方ならば、タッグを組んでも間違いはないと確信し、お願いした次第です。私の意図するところを十分に汲み取って頂き、文体・表記・時制という俳句文法を考える三大特筆に焦点を当て、予想を超える充実した質量でこれを論じて下さいました。


 とあるように、堀切克洋を起用した井上泰至の手柄、功績であるが、何より堀切克洋の力量を感じさせ、じつに柔軟に説得力ある内容となっている。例えば、ブログタイトルに挙げた仁平勝「こころもち向き合ふやうに雛飾る」の第4章の中見出しは「文語文法はレトリック」であり、仁平勝の例句の部分は「③文章体」というものである。そこには、


(前略)しかし、実際には俳句における「文語」はひとつの表現であり、レトリックでもあります。レトリックというのは、文章などに豊かな表現を与えるための一連の技法のことですでが、音数の極端に短い俳句という文芸では、言葉の〈文(あや)〉がとても大きな意味をもちます。

 では、俳句における文体は大きく分けて、いくつの可能性があるのでしょうか。ここでは、四つのパターンに分けて整理することを提案してみましょう。


 と述べられ、曰く、①名詞連続体、②文語体、③文章体、④口語体と整理されているのである。その③文章体の項には、


 しかし現代の俳句において、②と負けず劣らず重要なのが、③の文章体です。「文章体」という言い方も専門用語ではなく、ここで便宜的に使っている言葉ですが、その重要なポイントを先に言っておくなら、これは「文語とも口語とも判別がつかない文体」です。つまり、いま見た述語部分に助動詞が用いられていないかたちが、「文章体」ということになります。


 とあり、


 勝の句は「雛」という名詞=主題に長い述語(「こころもち向き合ふやうに飾る」)がついています。普通の人が目をつけないような小さなものに着眼する俳人らしい目があります。そしてたまたま散文が定型にはまってしまったような感じが、定型のごつごつした感じを覆い隠しています。


 とあった。どこのページから読んでも良さそうなので、それは読者諸兄姉にお任せするとして、愚生は、集中より、愚生好みに、句のみをいくつか拾って紹介しておこう。


  スキー長し改札口をとほるとき       藤後左右

  現代詩・紫雲英・眩暈・原子力       神野紗希

  みづうみのみなとのなつのみじかけれ    田中裕明

  かつてラララ科学の子らたり青写真     小川軽舟

  水の地球すこしはなれて春の月      正木ゆう子

  ねぱーるはとても祭で花むしろ       阿部完市

  ただならぬ海月ぽ光追い抜くぽ       田島健一

  ひきがえるありとあらゆらない君だ     福田若之

  一点之繞(しんねう)二点之繞かたつむり 佐怒賀正美     

  ふだらくのあかりへあめりかしろひとり   橋本 直

  あたたかなたぶららさなり雨のふる     小津夜景

  前へススメ前へススミテ還ラザル      池田澄子

  さざんくわはいかだをくめぬゆゑさびし   中原道夫

  あ、秋。海。雨。ワイパーの、変な音。   佐山哲郎

  寒卵割れねば〈我〉が割れてしまふ     堀田季何

  をどり字のごとく連れ立ち俳の秋      井口時男

  あさがほのたゝみ皺はも潦         佐藤文香

  

  虹に問ひ

  野に訊き

  不在の

  導師たり                 上田 玄


  戀の字の糸は緋色か初しぐれ        大屋達治

  バス停にゐる軽さうな雪だるま      宮本佳世乃

  月ぐらゐ行ける時代の月見かな       北大路翼

  春は曙そろそろ帰つてくれないか      櫂未知子

  マフラーをぐるぐる巻きにして無敵      近 恵

  ゐのこづち下から上に叩き払ふ       黒岩徳将

  冬菫声を出さずに泣くことも       日下野由季

  向日葵を切断面と思ひゐる        藤井あかり

  ふはふはのふくろふの子のふかれをり    小澤 實

  秋雨は無声映画のやうに降る        仁平 勝


 井上泰至(いのうえ・やすし) 1961年、京都市生まれ。

 堀切克洋(ほりきり・かつひろ) 1983年、福島県生まれ。



     芽夢野うのき「鬼灯ひとつ首にぶら下げ老いたるよ」↑

2022年9月6日火曜日

飯田龍太「露草も露のちからの花ひらく」(『山盧の四季』)・・

          


  飯田秀實随筆・写真集『山盧(さんろ)の四季』(コールサック社)、副題に「蛇笏・龍太・秀實の飯田家三代の暮らしと俳句」とある。序は長谷川櫂「白雲去来」、跋は黒田杏子「山盧と私」。各ページには、飯田秀實による写真とエッセイ(山盧文化振興会会報「山盧」に掲載されたものだろう。文の末尾に年月が記されている)。巻末の飯田秀實の随想「俳人蛇笏、龍太を支えたそれぞれの妻」は、愚生にとってはとりわけ感慨深い。

 実は、愚生が俳句総合誌と言われる雑誌に原稿を書いた最初が飯田龍太論(「俳句とエッセイ」牧羊社)だったのだ。遠い記憶で、おぼろで申し訳ないのだが、飯田龍太の特集で、何らかの賞を受賞された際のお祝いのための特集だった。その特集記事のメインに近い位置だったと思う。明らかにその特集に水をさす内容だった。それでも、若書きの愚生にとっては、精一杯、渾身の論であったと思う。その時の編集者が、牧羊社に入社間もない島田壽郎(牙城)だった。そして、愚生にとってのその論は、当時の飯田龍太の自筆年譜に記されていない、ある空白を埋めようとするものだった。それは、兄の戦死に伴い、戦後、兄嫁を娶り、その二人の子どもに関わる表現(文字)の違いを明らかにしたものだったと記憶している(今手元に、その掲載誌がない)。このたびの飯田秀實は実に丹念にそれらの事情に触れてくれている。


(前略)いずれにしても、東京の女学校育ちで、結婚後は世田谷に住んでいた人が、生活圏の全く違う境川の田舎に幼い子一人とともに越してきたのだからその不安は計り知れないものがある。さらに戦死の報は、戦後二年経って届いたのである。二人の結婚については父も母も多くは語らない。さらに、二人の最初の子である純子は、小学校に入学する前年の九月に急性小児麻痺により一日で命を落としてしまった。私が四歳の時である。母によく言われたことがある。「秀實は手のかかる子だが、純子の言うことだけは聞いた。度胸があって気の利く子だった」事実だけに反論できなかった。母の悲しみは計り知れないが、その母の涙を私は見たことがない。(中略)

 祖母も母も俳人であり文筆家であった夫を陰で支えてきた。二人の俳人が後世に残る作品を生み、立派な選を貫きとおすことができたのはそれぞれの妻の存在が大きく関わっている気がする。

 龍太が雲母の終刊を宣言した後、二人はしばしば温泉に出かけた。長い時は一週間ほど滞在した。飯田家に嫁いだ母は、雲母終刊まで実家にもほとんど里帰りせず、一晩として家を留守にすることはなかった。


 愚生が当時、注目し、好きだった俳人のトップランナーの一人が飯田龍太だった。飯田龍太が、年譜に、意志的に留めなかったのには、たぶん理由があったのだ。しばらくして、島田牙城から、飯田龍太は怒っていた、彼自身は、会社をクビになることも覚悟した、と聞いた。今、思えば、三十歳そこそこの若僧だった愚生には、それら龍太の複雑な事情を慮ることは難しかっただろう。それよりも、その拙い原稿を掲載する決断をした牙城にむしろ感謝したい。


  松刈りし山のひろさや躑躅咲く       蛇笏

  山川のとどろく梅を手折るかな

  たましひのたとへば秋のほたる哉

  くろがねの秋の風鈴鳴りにけり

  茶の木咲きみそらはじめてみるごとし

  をりとりてはらりとおもきすすきかな

  芋の露連山影を正しうす

  凪わたる地はうす眼して冬に入る

  

  いきいきと三月生(うま)る雲の奥     龍太

  春の鳶寄りわかれては高みつつ 
  白梅のあと紅梅の深空(みそら)あり
  どの子にも涼しく風の吹く日かな
  山河はや冬かがやきて位に即けり
  手が見えて父が落葉の山歩く
  一月の川一月の谷の中
  大寒の一戸もかくれなき故郷
  雪の日暮れはいくたびも読む文のごとし

 飯田秀實(いいだ・ひでみ)1952年、山梨県生まれ。

  

        中西ひろ美「山里の秋早うしてちつち蟬」↑ 

2022年9月5日月曜日

三浦健龍「何も掴めず渾身の色曼珠沙華」(「里」8月号より)・・


 「里」2022年8月号(里俳句会)、今号表紙に、【わが心の俳人】とあって、瀬戸正祥「多田裕計」、谷口純子「太田うさぎ」、島田牙城「三浦健龍」がそれぞれ執筆している。愚生にとっては、何んと言っても三浦健龍である。彼が中心だった同人誌「鷺」に、同人でもない愚生が作品や、「高柳重信論についての覚書」という連載を書かせてもらったのだ。高柳重信晩年の頃で、まだ、高柳重信論など書こうという無謀な若い俳人は見当たらなかった。45年近く前になる。その島田牙城「わが心の俳人」には、


 殴られたことがある。向日町のちいさな料理屋「矢尾末」の二階で「鷺」「東雲」合同の忘年会をやつた。写生の先に何があるか、何を求めるか、といふ青臭い議論が続いた。議論は句会の後の宴に持ち越された。その辺りからの記憶がない。故に殴られた記憶もない。朝起きたら鼻血の跡が頬にあり、同席した仲間に「健龍さんに殴られた」と聞いた。(中略)殴られたからといつて絶交した訳ではない。その後も何度か会うてゐる。桃山城へ吟行した折の健龍さんの後ろ姿は格好良かつた。誰とも睦まず馴染まず、黙々と一人前を行く背中こそ、健龍俳句の句姿なのだと今も思うてゐる。

 儂より八つ歳上、既に「雲母」(飯田龍太さん選)の「作品欄」巻頭を数度もぎ取つてゐた。あくがれの先輩だつた。いつしか消息を聞かなくなつた。その後を、知らない。


 と記している。「鷺」の同人には、川上袈裟男、中村光影子、藤原幹次、妹尾健、谷村能里子、堀之内勝衣、若林卓宣、中田剛などがいた。



 愚生は、二十歳の頃、一時期、赤尾兜子の「渦」に居た。三浦健龍も居た。当時は岸本尚毅もいた。若手俳人が多くいたのだ。後に藤原月彦や坪内稔典も参加した。島田牙城も書いているように、健龍は俳句の世界から、忽然と姿を消してしまった。父は三浦秋葉、「雲母」同人で主宰誌をもっていたので、あるいは、その主宰誌を継承したのではないかとも、考えたが・・。確かパチンコ業界紙の記者になられたようだったが・・・。とにかく、途中より音信不通となった。愚生が、二十代のはじめ、京都から東京に流れついた頃、たしか、三浦健龍に妹尾健、あと一人どなたかが、わざわざ東京は武蔵野の愚生のアパートに尋ね来られ、泊り、翌日は、吉祥寺の喫茶店で藤原月彦にみんなで会ったような記憶があるのだが、たぶん、そうだったと思う。50年前のこと・・。

 ともあれ、「わが心の俳人」の牙城選の句からと、「鷺」からいくつか紹介しておきたい。


  揚羽過ぐ薄命伸びるごとくなり     健龍

  父母を逐ふくちびる螢くさきかな

  蟬時雨夢前川を流しけり

  帰り花まつさきに木を忘れけり

  萌木匂ふ斃れるための野がありて

  花終えて木犀はまたしづかな木   「鷺」20号(1979年9~12月合併号)

  片陰を出てきなくさき背丈かな   「鷺」13号(1978年7・8月号)

  鉄砲店からのっそりと夏の月       〃


三浦健龍(みうら・けんりゅう) 1949年1月13日生まれ。



  芽夢野うのき「あの人のいないあの窓のキバナコスモス」↑

2022年9月4日日曜日

山本容子「秋澄むや薄暮に薄目似合ふ犬」(『山猫画句(がっく)帖』)・・

          
                             
                             

 山本容子『山猫画句(がっく)帖』(文化出版局)、跋に小林恭二「旅すること、食べること、そしてエロティシズムへ/山本容子の画と句」、その中に、


 このたび山本容子(愚生注:俳号は山猫)さんが、読売新聞に十年にわたって連載された銅版画並びにやはり十年にわたって「耳の会」で書き留められた俳句を合載して「山猫画句帖」が上梓されることになりました。(中略)

 ことの始まりは十年前、わたしがいきなり句会をやりたいと言いだしたことにあります。きっかけが何だったかもはや忘れましたが、老後のてなぐさみを手に入れたいくらいの軽い気分だったかもしれません。普段近しくしていただいている遊び仲間に声をかけたところ、幸いみなさん乗ってくださり、その筆頭が山猫さんだったわけです。

 以後十年にわたりほぼ毎月途切れることなく句会は行われました。「耳の会」という句会名は初回の題詠の題に「耳」が入っていたことからつきました。(中略)

  蕾はや奸婦の予感つつじ花   山猫

 「奸婦の予感」こういうのに男心はひかれるんですよね。将来とんでもなく勝気な女性になるのですが、今はまだ清楚な少女なのでしょう。でもときおり光る眼の輝き、なみなみならぬ意思の力が垣間見えている。これに「つつじ花」を配したのもいい。薔薇や牡丹では当たり前すぎてつまりません。満開時のつつじの花勢の強さが、まさにこの句の世界なのです。


 本集に収載されている銅版画は40点、左ページに配され、右ページ句が2~4句配されている。「この山猫句帳の本領は、俳句と画業とのコラボにあります。ここがおそらく山本容子さんがもっとも腐心された部分でしょう。(中略)画と句は互いに独立しながら、互いの匂いで互いを引き立てあっています。それはひとことでいってとてもエロティックな関係です」(同前掲出)と記されていた。ともあれ、以下に、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておきたい。


  迷い人迎へついでの花見かな      

  凍る豚花見へ急ぐ籠のなか

  幾度の虚空を造るしやぼん玉

  滾る湯を待たせ土筆の袴とる

  風のなか風に飼はれし毛虫かな

  夏草は獰猛となり歩き神

  君想ふ気持ちに百の仕草あり

  水紋に酔ひはしないか浮寝鳥

  しぐるゝや霙大根蕪蒸し

  雪女郎根性魂は赤き手に


 山本容子(やまもと・ようこ) 銅版画家。1952年、埼玉県生まれ。



     撮影・鈴木純一「ビンボウでヘクソで初心忘れずに」↑

2022年9月3日土曜日

江良純雄「鬼灯のタイムカプセル噛んでみる」(第40回・8・20/メール×郵便切手「ことごと句会」)・・


  第40回・8月20日付け、メール×郵便切手「ことごと句会」、兼題は「燃」+雑詠3句。以下に一人一句と寸評を挙げておこう。


     夏空を雲詠(うた)いゆく自由律     渡辺信子

  棚田へのエール高らか鰯雲        江良純雄

  蜘蛛の囲を壊した指のささくれる     渡邉樹音

  白粉花折れば音する恥ずかしさ     らふ亜沙弥

  照り降りててりふりてりふり秋に入る   金田一剛

  水打って老舗蕎麦屋のオーラかな     武藤 幹

  笑う女に気後れする夏男         照井三余

  汝と我不在の秋の陽がのぼる       大井恒行


★寸評・・・

・「鬼灯のタイムカプセル・・」ー未だに廃れぬ鬼灯市。そうか!タイムカプセルだったんだ。妙に納得させられる!!(幹)。

・「夏空を・・」ー自由律はデタラメに非ず。大気の法則の中での自由な動きの雲。俳句もかくありたい(純雄)。自由奔放が羨ましい(樹音)。

・「棚田へ・・」ー全天にいわし雲、地には整然たる棚田、まさに日本の秋の原風景ですね(信子)。

・「蜘蛛の囲を・・」ー指のささくれは雲の囲の幾何より他にありそう(三余)。

・「白粉花・・」ー臆病・内気etcの花言葉。下句の「恥ずかしさ」が巧い!(幹)

・「照り降り・・」ーまさにそんなリズムの、心定まらない8月でした(信子)。

・「水打つて・・」ーいかにもありそうな光景ではある(恒行)。

・「笑う女に・・」ー何事も笑い飛ばしている女、いつもメソメソしているのは夏痩せ男か(恒行)。

・「汝と我・・」ー妻 由美子さまへの追悼の句とよみました。ことごと句会一同、心より御悔み申し上げます(剛)。


 他に、句会報に献句として、一句したためられていたので、記しておきたい。


 救仁郷由美子 様

 初めて句会でお逢いしたときから、

 小柄な身体一杯に炸裂するエネルギーを感じていました。合掌。

    救仁郷の昇天盛夏(なつ)の天を衝く     武藤 幹

 

(献句、有難うございました。恐縮至極・・・大井恒行拝)


                 於:姫路文学館↑

          

              於:ギャラリーランズエンド↑

★閑話休題・・夏石番矢「月光を堪え忍ぶやまここへ来い」・・(夏石番矢の俳句系アート)、(姫路文学館・夏石番矢展)・・


 夏石番矢の案内によると、淳心学院中学生。高校生時代に6年間通学した姫路の、世界遺産姫路城近くの二会場で、夏石番矢の展覧会などが開催されるという。ギャラリーランズエンドには午後1時から6時まで、9月26日(月)28日(水)を除く、9月23日(金・祝)から10月2日(日)まで在廊予定だそうである。

・夏石番矢展「俳人夏石番矢のパンデミック下でのたたかいー『世界俳句』を主導してー」

  2022年9月10日(土)~10月10日(日)午前10時~午後5時、無料。於:姫路文学館南館1fさんかくギャラリー(電話079-293-8228)

   

・「夏石番矢の俳句アート系」展 掛軸。巻物、俳画、色紙、オブジェなど82点展示販売。

 2022年9月23日(金・祝)~10月2日(日)、11時~18時、入場無料。水曜日休。

 於:ギャラリー ランズエンド(電話079-291-2208)

「俳句朗読ととトーク」9月23日(金祝)14時~17時

・講演 夏石番矢「わが俳句軌跡の半世紀を語るーうなる川から世界俳句へ」

 2022年9月26日(月)13時30分~於:姫路文学学校準備室 ミュージック&ブックカフェギャラリー2階

・夏石番矢を囲む会 2022年10月1日(土)18時~(会場未定)



     撮影・中西ひろ美「秋はすぐ冬になるので一休み」↑

2022年9月2日金曜日

天沢退二郎「むかご噛めば地球のつぶれる音がする」(『アマタイ句帳』)・・

             

 天沢退二郎『アマタイ句帳』(思潮社)、栞文に、髙橋睦郎「アマタイ流」、関悦史「横紙破りの絶景」、吉増剛造「アマタイの光、不可能の光」。高橋睦郎は、その結びに、


  そこには一九六〇年代から二〇一〇年代まで、現代詩に、フランス詩校注に、宮沢賢治再読につねに第一線を駆け抜けた天沢退二郎なる稀代のホモ・フマ二スタスの、意外なほど天真爛漫な子供の魂が眩しいほどだ。


 と記し、関悦史は、


 天沢退二郎は幼児性に恵まれた書き手と思われるが、『アマタイ句帳』においてその資質は、俳句という装置の構造やはたらきには頓着せず、イメージを十七音にみたしつづけるという形をとってあらわれた。


そしてまた、吉増剛造は、


 たとえば「蓮沼を自転車(チャリ)で立ち去る悪魔かな」。ここには、チャリとルビが振られていて、このルビの宝石、別宇宙への道をわたくしたちは幻視しうるのだ。現代詩の黒潮のような潮流をつくった天沢退二郎・・・ちなみに「アマタイ」と渾名したのはわたくしの最も親しい友の井上輝夫であった。一九五九年だったか、六〇年であったか彼が言いだした・・・アマタイの切り拓いてくれた、途方もない言語の暗黒成分、あるいは台風の、あるいは宇宙が潰れるときの音のような道が、このルビと自転車のあいだの道には潜んでいるのだ。


 と記していた。「後記」はマリ林、その中ほどから、


 数年前NHKの俳句番組に出演した時「あれえ?退二郎は句も詠むんだ!」と、わたくしが驚きましたところ、「遊んでるだけ!」二ヤリと笑った。時々わたくしが登場するのも嬉しいことである。(中略)

 本人は散歩途中道路で転び言語中枢を負傷し只今入院中でございますが、『アマタイ句帳』が出来ることを心より楽しみしております。(中略)句帳の話が進み始めると退二郎もかなり出てくる言葉数も多くなり回復が見込めるかも知れないと思えるようになりました。

母痴れて芭蕉きたりとそをたたふ

モナムール 君有らばこそ 生きめやも

                  二〇二二念五月 マリ林            


 とあった。ともあれ、総数約1200余の句の中から、愚生好みになるが、いくつかの句を挙げておこう。


   冬の本行間に註こだまして         退二郎

   註を食って冬生き延びた紙魚も居て

   牡蠣食へば枯野を白き霧の這ふ

   ひなげしの図星に女王(スター)惑乱す

   註はいいわよあたいはどうよと索引も

   からごろも着てみて見てみ冬の雲

   乳の出る草あれば母はなくてよし

   武装して蟻の出てくる春の孔

   ポケットに悪意を秘めて野火を焚く

   罪と蛾はいづれ陰火に集(たか)り来る

   山茶花(サザンカ)は山茶(ツバキ)もどきを悲しめり

     擦過するもの・秋元潔追悼

   時の霊ら白き舟にて雨(ふ)り来たる

   さにあらず花は実の実は花の夢にすぎぬ

   雷雨とか余震とか虚実に嬲(なぶ)られて

   蓮の花終れば彼岸花まで更地

   夜はいつも疾走して月の死を看取る

   デコポンの「デコ」には魔女が住んでいる

   冬将軍常夏の国さ行けば神様よ

   列島を猛暑と熱中屍が雁行

   トゲのない野茨はそも偽物よ

   この春は空飛ぶ河馬が雪の神!

   次の冬は犬じゃらしの野原で遊びませ


 天沢退二郎(あまざわ・たいじろう) 1936年、東京生まれ。 




★閑話休題・・春風亭昇吉「錦秋のショーウィンドーに映る黙(もだ)」(プレバト9月1日放送)・・


 昨日は、TVプレバトの放送で、久しぶりに、われらが遊句会の春風亭昇吉の登場だった。遊句会は、コロナ禍ですでに3年間も開催されていない(何しろ、飲み食いしながらの句会だったので)。春風亭昇吉は、かつて遊びながら、かつ真剣に作っていた俳句も、夏井いつきのプレバト出演をきっかけにして、この間に、本業の落語では、真打にも昇進し、かつ、俳句も本格俳句の道を歩き始めているらしい。梅沢富美男には、「上等な俳句」だと言われ、夏井いつき先生には、添削無し!の褒められられようだった。



  もっとも、春風亭昇吉には、すでに二冊の著書(下の写真)、『マンガでわかる落語』(誠文堂新光社)・『東大生に最も向かない職業』(祥伝社)もある。

 


 ともあれ、次回は.プレバト決勝戦に進む可能性もあるらしい。健闘を祈りたい。

 


     
 芽夢野うのき「夢の字にいささか萎む花は烏瓜」↑

2022年8月30日火曜日

近藤萠「いま表現の自由とはかなかなかな」(『鐘』Campanella)・・


  近藤萠句集『鐘 Campanella』(龍書房)、栞文は鳥居真里子、その中に、


 萠さんはどこか不思議な個性につつまれた女性である。それ故か作品もまた明るく、どこか不思議な余情を漂わせる。気がつくと、彼女の童話的世界に迷い込んでしまった私がいる。(中略)

   春よ来い辺野古のジュゴン珊瑚にも

   おりいぶの花国家とは自由とは

   沖縄忌少女の声が鳩になる

 句集『鐘』は絵のない絵本のような趣の一書である。その「鐘」のを大空高く鳴り響かせるのは、私たち読者の想像力の翼に他ならない。


 とあった。また、著者「あとがき」には、


 この句集は夢から生まれました。病床の麻酔の効いた眠りの中で、カラフルでリアルな夢を見ました。思ってもみなかったことが導き出された感じでした。それは、退院後も小さな鐘の音のように胸の中で響いていました。(中略)

 この句集を通して夢の続きの鐘の音に耳を傾けていただけましたら幸いです。


 ともあった。集名に因む句は、


   真夜中の驟雨かの日のラ・カンパネラ    萠


では、なかろうか。ともあれ、集中より、愚生好みに偏するがいくつかの句を挙げておきたい。


  神無月絶滅危惧種黒電話

  詩の神はいつも留守がち時雨月

    悼 小林星子姉

  読経春雨どきやうはるさめラブレター

  亀も鳴け木もなけ君を送らむよ

  春泥やはないちもんめ一人消え

  あぢさゐにあぢさゐのゐてあぢさゐは罪

  あげは蝶あくびしたときあが落ちた

  夏のバス次の停車は異次元です

  黄落の亀かつてます金曜日

  メメント・モリいよいよ炎(も)ゆる緋衣草


 近藤萠(こんどう・もえ) 1945年、埼玉県生まれ。



    撮影・鈴木純一「ビンボウでヘクソで初心忘れずに」↑