井上泰至・堀切克洋『俳句がよくわかる文法講座』(文学通信)、副題に「詠む・読むためのヒント/単に公式に当てはめるだけではな、文法理解のために」と惹句されている。「あとがき」は井上泰至、それには、
本書の「はじめ」から第三章までは、『俳壇』誌に連載中の「俳句文法 そこが問題、そこがポイント」の、初回から七回目(二〇二二年一~七月号)までを編集・増補したものです。
ということで、本書の第4章から14章までは、共著者である堀切克洋が執筆している。本書の特徴は、これまでの俳句入門、文法書にはない、近年の俳句作品、若い俳人の俳句を、例句として、幅広く博捜していることだろう。この点については、「あとがき」にも述べられているが、
(前略)この方ならば、タッグを組んでも間違いはないと確信し、お願いした次第です。私の意図するところを十分に汲み取って頂き、文体・表記・時制という俳句文法を考える三大特筆に焦点を当て、予想を超える充実した質量でこれを論じて下さいました。
とあるように、堀切克洋を起用した井上泰至の手柄、功績であるが、何より堀切克洋の力量を感じさせ、じつに柔軟に説得力ある内容となっている。例えば、ブログタイトルに挙げた仁平勝「こころもち向き合ふやうに雛飾る」の第4章の中見出しは「文語文法はレトリック」であり、仁平勝の例句の部分は「③文章体」というものである。そこには、
(前略)しかし、実際には俳句における「文語」はひとつの表現であり、レトリックでもあります。レトリックというのは、文章などに豊かな表現を与えるための一連の技法のことですでが、音数の極端に短い俳句という文芸では、言葉の〈文(あや)〉がとても大きな意味をもちます。
では、俳句における文体は大きく分けて、いくつの可能性があるのでしょうか。ここでは、四つのパターンに分けて整理することを提案してみましょう。
と述べられ、曰く、①名詞連続体、②文語体、③文章体、④口語体と整理されているのである。その③文章体の項には、
しかし現代の俳句において、②と負けず劣らず重要なのが、③の文章体です。「文章体」という言い方も専門用語ではなく、ここで便宜的に使っている言葉ですが、その重要なポイントを先に言っておくなら、これは「文語とも口語とも判別がつかない文体」です。つまり、いま見た述語部分に助動詞が用いられていないかたちが、「文章体」ということになります。
とあり、
勝の句は「雛」という名詞=主題に長い述語(「こころもち向き合ふやうに飾る」)がついています。普通の人が目をつけないような小さなものに着眼する俳人らしい目があります。そしてたまたま散文が定型にはまってしまったような感じが、定型のごつごつした感じを覆い隠しています。
とあった。どこのページから読んでも良さそうなので、それは読者諸兄姉にお任せするとして、愚生は、集中より、愚生好みに、句のみをいくつか拾って紹介しておこう。
スキー長し改札口をとほるとき 藤後左右
現代詩・紫雲英・眩暈・原子力 神野紗希
みづうみのみなとのなつのみじかけれ 田中裕明
かつてラララ科学の子らたり青写真 小川軽舟
水の地球すこしはなれて春の月 正木ゆう子
ねぱーるはとても祭で花むしろ 阿部完市
ただならぬ海月ぽ光追い抜くぽ 田島健一
ひきがえるありとあらゆらない君だ 福田若之
一点之繞(しんねう)二点之繞かたつむり 佐怒賀正美
ふだらくのあかりへあめりかしろひとり 橋本 直
あたたかなたぶららさなり雨のふる 小津夜景
前へススメ前へススミテ還ラザル 池田澄子
さざんくわはいかだをくめぬゆゑさびし 中原道夫
あ、秋。海。雨。ワイパーの、変な音。 佐山哲郎
寒卵割れねば〈我〉が割れてしまふ 堀田季何
をどり字のごとく連れ立ち俳の秋 井口時男
あさがほのたゝみ皺はも潦 佐藤文香
虹に問ひ
野に訊き
不在の
導師たり 上田 玄
戀の字の糸は緋色か初しぐれ 大屋達治
バス停にゐる軽さうな雪だるま 宮本佳世乃
月ぐらゐ行ける時代の月見かな 北大路翼
春は曙そろそろ帰つてくれないか 櫂未知子
マフラーをぐるぐる巻きにして無敵 近 恵
ゐのこづち下から上に叩き払ふ 黒岩徳将
冬菫声を出さずに泣くことも 日下野由季
向日葵を切断面と思ひゐる 藤井あかり
ふはふはのふくろふの子のふかれをり 小澤 實
秋雨は無声映画のやうに降る 仁平 勝
井上泰至(いのうえ・やすし) 1961年、京都市生まれ。
堀切克洋(ほりきり・かつひろ) 1983年、福島県生まれ。
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