2014年9月10日水曜日

「群青」に思う・・・



「群青」第5号に仲寒蟬が俳句時評「氷の世界」を書いている。
それは世代について仲寒蟬の考えを率直に語った好感をもてる内容だ。その最後に「団塊の世代の下で冷えてをり」櫂未知子の句を挙げて次のように記している。

 俳句にも当然ながら世代の色はある。歌の世界で陽水や中島みゆきが我々の世代を代表してくれているいるように俳句ではこの人だ、と筆者は最初から感じていた。世代の声を反映するような俳句が詠めたらそれは素晴らしいことだろう。だが、飽くまで意識せず、あとから読んでみたらそうなっていた、というのが望ましい。
 「氷の世界」を聴きながらそんなことを思った。

愚生は、団塊の世代である。従って、一年前に「群青」が創刊されて、その誌名を見た瞬間に、なんと切ない悲しみを湛えた誌名であろうか、と思ったのだった。若い人々が集っているらしいと思えば、なおさらそう感じたのかも知れない。愚生らには「群青」とはウルトラマリンだ。そうすれば、即座に逸見猶吉の《ドコカラモ離レテ荒涼タル北方ノ顔々ウルトラマリンのスルドイ目付/ウルトラマリンの底ノ方へー》
を思い起こす。そして、何よりも新右翼と称された野村秋介の「群青忌」を思う。
野村秋介は平成5年10月25日、朝日新聞東京本社において抗議の自決をした(享年58)。彼のよく知られた俳句は句集『銀河蒼茫』(二十一世紀書院)の「俺に是非を説くな激しき雪が好き」であるが、自決一週間前に辞世として次の句を詠んでいる。

    惜別の銅鑼は濃霧のおくで鳴る    秋介

仲寒蟬のいうように、それぞれの世代の受けてきた感受性は確かにあると思われる。愚生など団塊の世代にはやはり戦中世代の、俳人でいえば、ちょうど父の世代にあたる金子兜太あたりの文字通り、その世代を対象化しようとした世代なのかもしれないとも思う。
それでもなお、時代とは寝ない、時代と等身大の句だけは回避したいと想いながら俳句形式に臨んできた世代でもあると思う。
そして今、真に新しい俳句をめざし書けるのは(愚生の出る幕などなく)、後続世代のものだろうとも思っている。
それにしても、「群青」今号に「創刊によせて」が再掲載されているのは、再掲載しなければならぬほどの何らかの事情でもあるのだろうかと、少しは気にかかるのである。
それはたぶん、愚生が「群青」という誌名を最初に見たときの切ない感受を思い起こすからにちがいない。
そして、もうすぐ、今年も21回目の「群青忌」がくる。
また、攝津幸彦「南風忌」「南国忌」の10月13日は、毎年、ハナミズキの赤い実があざやかだ。

                                         ハナミズキの実↑

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