2014年10月16日木曜日

三橋敏雄「生活感情」[(昭和12年)の句・・・2



ここでもまた、遠山陽子『評伝 三橋敏雄』の恩恵にあずかるが、次のように記してある。

 同時期、敏雄はさらに、渡邊保夫の発行していた同人誌「生活感情」にも参加する。同誌は、編集人みずからの手によるガリ版刷りながら、俳句、短歌、散文、評論など、多方面の作品を掲載する総合文芸誌である。会費一ヵ月拾五銭。

強いて言えば、渡邊保夫はガリ版では、略字の渡辺保夫と彫られ、会費は6号には拾銭とある。7号は十五銭である。遠山陽子の「生活感情」の記述は克明であるが、この愚生のブログでは、ただ、その折に発表された三橋敏雄の句を再掲載しておこう(「生活感情」4号では「三橋としを」。

「生活感情」第4号(昭和12年8月10日発行)、
    〇連作
梅雨の路地汝が前額のひたにあり             三橋としを
紫陽花はいつそみもだえ陰ふかし
角時計鳴りわたり路地に吾に
緋ダリヤはこゝに聖金曜の日は西に
路地せまくはざまの空へ髪伸びたり
   〇連作
軍人は晩婚にして鳥撃てり
七月のまだきの空は午さがり
鳥銃を疎林に向けて暁けはじむ
軍人の日焼けて持ちぬ金時計
汗ばみて軍人は妻とほく連れぬ

「生活感情」第5号(昭和12年9月10日発行)、
  〇柿に寄す
山は門のあをの柿垂り夕焼けぬ              三橋敏雄   
恋しげく柿の裏葉の夜をかよふ
恋ふる夜はまがき隠れに柿青し
   又
汝が額に花火の音はながからぬ
夜は熱き天地はあらず柿落ちぬ

煙突林暁けて来らしき四肢のほとり
木木喬しまことに朝日はづみつつ
運河旱りくるぶし太く沿ひ来り
町々にをさなら暁けてはだかなる

「生活感情」第6号(昭和12年10月20日発行)、
  二百十日後日
糖黍やとほ山かけてのこりかぜ
唐黍の紅毛や垂りぬうろこぐも
唐黍のかぜ颯颯とこどもゐる
唐黍はたしがれみのり童が喰ふ

「生活感情」第7号(復活第1号・昭和13年9月号)には、三橋敏雄の句はなく、「愚昧の言」というエッセイ。出だしを少し引用すると、

 今日、時代を反映せる俳句と云へば勿論戦争俳句が推されるであらうし、又私も戦争は俳句であればかなり広い範囲の作品を知つてゐるつもりであるから鑑賞文を書くといつても別に不自由ではないのだけれど、本当のことをいふと或るわずらはしさのために、その中からいくらかの作品を書いたりすることの意味を持つことができない。

時に、三橋敏雄18歳の感懐である・・・・・


                    アブチロン↑


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