2014年10月7日火曜日

高篤三「浅草は風の中なる十三夜」・・・



今朝、東京は台風18号の風雨に見舞われていたが、昼過ぎには台風一過の青空となった。
高篤三(こう・とくぞう)の句のように、文字通り野分のおもかげの風が吹き、十三夜・後の月がいっそう明るかった。
高篤三については細井啓司の貴重な仕事である『高篤三句集』『高篤三詩文集』(現代俳句協会刊)によって知ることができる。しかし、実はそれ以外に手立てはさしてない。高篤三(本名・篤雄)は明治34年6月2日、東京市浅草区象潟町二番地に生まれた。亡くなったのは昭和20年3月10日(東京空襲の日)。
篤三は戦前の「句と評論」で頭角をあらわした作家。篤一、八巣篤の名で、三橋敏雄、中谷春嶺、渡辺白泉、細谷碧葉(源二)などと競い活躍したという。

    
      水の秋ローランサンの壁なる絵           篤一
      南風は鏡の中に魚となる
      六月の海の碧さにクレー射つ
      算盤の古き重たき秋の風               篤三
      浅草は風の中なる十三夜
      
そういえば、今日はE・A・ポーの亡くなった日でもある。享年40.後にボルチモア市民有志によって墓地を作りなおし改葬さという。また、ポーには10代の妻がいたが、短命で、彼女の墓が土地開発でつぶされたときに、ポーの熱烈なファンだった人物によって、彼女の骨は箱詰めにされたままベッドの下に置いて保管され、ポーの墓の改葬後十年、1885年に彼女の骨もポーの墓地に一緒に葬られることになったと伝えられている。


                                           ムラサキシキブ↑

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