2014年10月28日火曜日

文献書院・山田昌男氏に会う・・・



去る25日から来る11月3日まで神田青空古書展が行われている。
過日、その期間に一度お会いしようということになり、愚生は青空市の「ブンケンロックサイド」で待ち合わせた。
もとはと言えば、神田古書センターの7階にあった文献書院を今は娘さんが中心になってサブカルチャー専門古書店「ブンケンロックサイド」として切り盛り、その一隅に俳書が並べられている。
実は、愚生は若いころから、文献書院の山田昌男氏に色々お世話になっている。
俳句文学館もまだ開館しておらず、大塚にあった(現在は自宅兼5階建てのビル)ガラス戸の引き戸だった文献書院に原稿を書くための資料を求めに行ったことがあったのだ。
相対的にまだ十分古書値もしていた頃、給料が5万円くらいのときに五千円ほどもした飯田龍太の句集を買ったりした。いまだったら、俳句文学館で句集閲覧をしているだろう。
あるいはまた、俳書の整理にはずいぶんお世話になった。
愚生の窮乏、入用の際に、本を売りに行ったこともある。もう時効だから書いても差支えないと思うが、山頭火の『其中日記』『草木塔』(まだ山頭火の著作が世に出回る以前のこと)を愚生の一度目の妻の父(曹洞宗の僧侶だった関係で大山澄太から山頭火本を所蔵)から借りたものを、その妻と一年ほどで離婚し、父はまもなく他界されて、そのまま本を返すチャンスを逸し、加藤楸邨『野哭』や加藤郁乎句集(海程社)などと一緒に売り、生活費の足しにしたこともあった。


                                                    文献書院・山田昌男氏


その山田氏とほぼ34,5年以来の再会なので、もとよりお互い顔もわからずの待ち合わせとなったのだった。
近くの喫茶店で今は無き高柳重信、中村苑子、松崎豊、細見綾子、沢木欣一、鈴木真砂女、飯田龍太、大野林火、松崎鉄之介、岸田稚魚、鈴木鷹夫などとの想い出話を聞いた。
現在、80歳を越えられて古書センターの7階の店からは撤退されたが、元気いっぱいは変わらず、まだまだ俳書の商いは忙しすぎるほどやっているのでと言い、古書の倉庫になっている御茶ノ水女子大近くの自宅ビルにもお邪魔することになった。
三年前にアキレス腱を痛められてからは、趣味だった社交ダンスはやめられたということだったが、まだまだ頑張りますよ~と握手をして別れたのだった。


                 カラスウリ↑

0 件のコメント:

コメントを投稿