2016年10月20日木曜日

小津夜景「なみがしらなみだの楼をなしながら」(『フラワーズ・カンフー』)・・・



小津夜景『フラワーズ・カンフー』(ふらんす堂)。
小津夜景(おづ・やけい)1973年北海道生まれ。
第2回攝津幸彦記念賞準賞受賞。そのとき、在住のフランスからの投稿だった。「豈」誌上に作品50句を掲載するのみ。応募の際に副賞が出るなどとは記されていない。副賞は、と言っても図書カード1万円のみ。豊かではない「豈」の財政状態からは通常の財政からは一文も出ない。ただ、若い人たちの何か役に立つことをやってくれと、匿名篤志家のカンパによって副賞は設定されているのだ。その折の正賞(副賞・7万円)は花尻万博「乖離集(原典)」。準賞は小津夜景「出アバラヤ記」と鈴木瑞穂「無題」だった。本句集『フラーワーズ・カンフー』にも収められているが、全く新しいテキストになって再登場しているといってもいい。著者は「出アバラヤ記」の改稿含む、と「あとがき」に述べている。改稿の一例を挙げると、

  ふみしだく歓喜にはいまだ遠いけれど、金星のかたむく土地はうるはしく盛つてゐる。
隠者ゐてジャージ干すらむ秋の園

 本句集では、前書きは同じだが、句は、

      跡形もなきところより秋めきぬ

となり、また、

 たちこめる霞。うちともる吾亦紅。水をおおふ空木のひとひら。やすらぐ鳥の葉隠れのむれ。眼に見えるものはいつでも優しげだ。
百菊の逆髪あへぐ目閉づれば
 
は、以下のように改稿される。

 たちこめる霧。うちともる吾亦紅。水にせまる空木のえだぶり。やすらぐ鳥の葉隠れのむれ。眼に見えるものはいつでも優しげだ。

      目ぐすりをくすぐる糸の遊びかな

といった具合だ。帯には正岡豊「廃園から楽園へ」とあり、鴇田智哉は「のほほんと、くっきりと、あらわれ続ける言葉の彼方。今ここをくすぐる、花の遊び。読んでいる私を忘れてしまうのは、シャボン玉のように繰り出される愉快のせいだ。」と惹句している。
思うに、俳句形式の秩序になれた読者からすれば、小津夜景の句群には、むしろ、俳句形式によって解体されたさまざまな光景を目にしているのだろう。
以下にいくつかの句を挙げておこう。

   重力のはじめの虹は疵ならむ
   晩春のひかり誤記のままに鳥
   戦争のながき廊下よクリスマス
   声あるが故に光を振りむけばここはいづこも鏡騒(かがみざい)なり
   ともづなに蛍をともす夜さりかな




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