2017年5月14日日曜日

江田浩司「老人カラ死二二ユクベシ子供ラハ美シイ日本ヲ担ウノダカラ」(『想像は私のフィギュールに意匠の傷をつける』)・・



 江田浩司『想像は私のフィギュールに意匠の傷をつける』(思潮社)は、集名にあるように様々な試み、仕掛け、それを意匠とするなら、その意匠に目もくらみそうだが、とりあえず、詞書の付された短歌作品としてブログタイトルにした作品を挙げた。章題「敵ハ米国(アメリカ)」の「近未来戦争(敬老篇)・・・私ノ戦争・姥捨テ隊出撃ス」から、

    赤紙は高齢者からやつて来る。
  老人カラ死二二ユクベシ子供ラハ美シイ日本ヲ担ウノダカラ    浩司

 また、別の一冊「北冬」NO.17(北冬舎)の江田浩司の連載「《主題》で楽しむ100年の短歌§「友情の歌」9」には、彼の郷土の敬愛する俳人として西東三鬼の友人の死を悼んだ句も紹介されていた(短歌と俳句の表現の差異が際立っていると・・)。それは篠原鳳作と石橋辰之助への追悼句、一句ずつを以下に孫引きする。

     鳳作の死
  葡萄あまししづかに友の死をいかる     三鬼
     悼石橋辰之助
  友の死の東の方へ歩き出す

 江田浩司のあと一つは、同号に掲載された北村太郎の詩「『春影百韻』を読む」。第18回「北村太郎の会」の講演録なのだが、この詩が連句の形式で書かれているという、その読みが展開されていて、じつに興味深かった。ひるがえって江田浩司の作品の書法のいくつかにもこれらの伏流があるのではないかと思わせた。
ところで、今号の「北冬」のメインの特集はなんと言っても、中村幸一責任編集「わたしの気になる《沖ななも》-」である。
 愚生はかつて坪内稔典の「現代俳句」で「短歌と俳句のシンポジウム」開催の際のスタッフとして沖ななもに接したことがあるが、その後のあまたの著作の刊行や活躍について、つまびらかには知らなかった。ただ、彼女が句作をしていることも聞いたことがあるような気がするが、今号の特集ではそれらしいことには触れられていない。
ともあれ、以下に三首を挙げておきたい。

 空壜をかたっぱしから積み上げるおとこをみているいる口紅(べに)ひきながら
 ただいまと言えば家内(やぬち)に何やらが動けりおまえもさみしかったか
 胃カメラは年齢相応を映し出す化粧も整形もとどかぬところ      沖ななも

江田浩司(えだ・こうじ)1959年、岡山県生まれ。




  

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