2017年12月31日日曜日

小池正博「逢いたいが虫の種類が分からない」(「川柳スパイラル」創刊号)・・



「川柳スパイラル」創刊号(編集発行人・小池正博)、創刊の辞の結びに、

 これまで川柳人しか知らなかった川柳の遺産をもっと一般の詩歌に関心のある読者に届ける方法を模索してゆきたい。したがって、本誌は川柳人だけではなくて、広く短詩型文学に関心のある読者を想定している。既成の川柳イメージを裏切り、「川柳っておもしろそう」という未知の読者や作者に出合うために、渦の生成にチャレンジしようではないか。
 みなさんのご支援をお願いする。

とある。内容はというと、門外漢である愚生は、最近の情勢に疎いこともあるが、スパイラルに参加者の方々の名をあまり知らない。とはいえ、どうやら隅々にまで小池正博の眼がよく働いている印象である。小池正博「現代俳句入門以前 第一回」の「おれのひつぎは おれがくぎうつ  河野春三」の句をめぐって、

 瀬戸は一人称が繰り返されていることに注目した。そして、前の「おれ」と後の「おれ」に違いを読み取り、「おれ」を見ているもう一人の「おれ」がいることに、自分の分裂、というより自在さを感じとった。

それを、小池正博は「自分の柩でさえ他人の手を借りずに自分でうつのだという自己主張の強さだと思っていたからだ。私には自我の強度と見えたものが瀬戸には自我の自在さと受け止められたのである」と、ショックを感じていたという。さらに、川柳の歴史的な経緯について「そもそも川柳には『私性』などというものはなかった。川柳は第三者の立場に立って社会や人間を風刺するものと考えられていたから、個性ではなく誰にも共通する普遍的な感情を表現するものであった。川柳は社交的文芸であったのだ」と説明している。さらに現代川柳に対する見取り図を示してくれるなど、愚生の蒙昧な川柳観にいくつかの示唆を与えてくれている。他にも、柳本々々と安福望「おしまい日記」、川合大祐「いかに句をつくるか」、兵頭全郎「妄読のススメ」、小津夜景インタビュー(飯島章友)など、興味深く読んだ。作品は以下にいくつかを挙げておきたい。

   吹きよせの抒情をひとつ托卵す    清水かおり
   おにぎりの具や環礁に核のあと    湊 圭史
   夕飯の味噌汁にいくミサイル     柳本々々
   VA-----------と魂   川合大祐
   繋がれていますとはっきり言ってやれ 石田柊馬
   直線が泡立つ先を見に行こう     畑 美樹
   数式の途中でバトルロイヤルに    飯島章友
   待ち人と無言は平行線にいる     兵頭全郎
   叫びAカノンとなって叫びB     小池正博

  
★閑話休題・・・

 一緒に投げ込まれていた「THANATOS」石部明(小池正博 八上桐子)の「JUNCTION」に書かれていた『現代川柳の精鋭たち』(北宋社・2000年7月)について、思い出したことがる。
 北宋社社主の渡辺誠は、愚生の『本屋戦国記』を出してくれ、愚生が書店員をやっていたときからの友人であった。森猿彦の名で小説を書き、俳句も書いて、一時は「豈」同人でもあった。当時、俳句の言葉より川柳の言葉の方が自在で面白いので、そのテキストとなるべき川柳のアンソロジーを出したらどうかと提案したが、愚生には手に余るので、「豈」同人の樋口由紀子に人選その他をやってもらおうということになったのだ。この流れは邑書林の「コレクション川柳」まで続いた。
 その後、幾度か連絡を試みたが、森猿彦こと渡辺誠の消息は不明である。
 思えば、俳句はその保守性ゆえか、短歌や川柳の先鋭な言葉たちを横目にみながら、いつも一番後ろから周回遅れのランナーが、あたかも先頭にあるような錯覚をもたれるように走ってきたようである。いや、むしろ、その滅びゆく感受とともに滅びても構わない、という感じなのかもしれない。ともあれ、石部明の句を以下にいくつか挙げておこう。

  体臭を消してしまえばただの闇     明
  わが喉を激しく人の出入りせり
  しぬということうつくしい連結器
  入口のすぐ真後ろがもう出口
  五月の木みんな明るく死んでおり
  びっしりと菊その裏は姉の部屋

 新人ばかりではなく、十年、二十年と創作を続けているベテラン作家にとっても川柳は、言語表現として滅多に成功することのない絶望的な形式なのである。(石部明・「川柳大学」1997・8月) 

石部明(いしべ・あきら)、1939年1月3日~2012年10月27日。岡山県生まれ。


皆さん良いお年をお迎え下さい。愚生は義母他界のため、年賀のご挨拶は失礼いたします。


            府中・大國魂神社欅並木参道・竹明り↑ 




0 件のコメント:

コメントを投稿