2018年10月31日水曜日

山﨑十生「抱くごとく抱かれる如く草の花」(「WEP俳句通信」106号より)・・・



 「WEP俳句通信」106号(ウエップ)の特集は「わが俳句、先の一歩をどうするか」、坊城俊樹、岸本尚毅、武藤紀子、前北かおる、横澤放川、林桂、鳥居真里子、神田ひろみ、田丸千草、三宅やよい、森須蘭、坪内稔典、西池冬扇の13名が執筆しているが、当然のことながら、具体的な作品を提示することは困難であったろうと推測する。この先の一歩だから、なおである。その中では、坊城俊樹が、論の結びに、

 この無意味性こそが私自身の目指す俳句である。
 棒となり蠅となり虚子銀河へと     俊樹

と、潔く断定してみせている。また、目指すべき志として、岸本尚毅は、

 俳句においても「夏芝浜」が生まれる可能性を信じたいと思う。

と、・・その心は、

 「夏芝浜」は「芝浜」の「正解」ではなく、「変化」を求めを新しみを求める試みなのである。

という。この先に対して、誰もが抽象的ではあるものの前向きなのであるが、林桂は、冷静に自らの置かれてる俳句史的位置づけをできるだけ明らかにし、分析してみせている。  その俳句の現在とは、

  ここで、見ておくべきは、「自己表現」の主題など「欠落」させても、俳句は成立するという「現在」の表現認識であろう。

 と的確である。そして、自らの俳句行為を、時代の一回性を生きる覚悟といい、

 この狭間で書くことに道を拓くことが可能か。「我」の解体を違和感としつつ、「我」の隣人の「我」を探るような道を彷徨ってきた。時に多行形式を援用し、時に「詞書」による「俳句」の場を仮構しつつ、遠くの「我」ではなく、近くに反語的に現れる「我」を「書き」とめようとしてきた。

 と述べ、誠実である。誠実と言えば、おおむね女性の執筆陣は誠実な印象であった。神田ひろみは「私は今日も、飾らない言葉で句を詠んで行くほかはない」といい、森須蘭は「次の私に会うために、俳句を書いているの」、三宅やよいは「ぼんやり思っているのは難しい言葉を使わないこと。驚きがあり、覚えやすい俳句を作りたい」という。鳥居真里子は、これも誠実に「自ら納得できる作品がいまだ皆無であるー。おそらくそんな飢餓感がその作業を支え、突き動かしているのかも知れない」という。
 それらに比べて、坪内稔典は、金子兜太が亡くなるのを待っていたかのように(もっとも若き日の金子兜太批判によって、かの愚生は感銘していたのであるが)、

 (前略)存在者と呼んで兜太を担ぐ俳人などがいたし、その人々に兜太ものっていた。担ぐ人々も担がれる兜太もだめだとおもった。

 と言うが、兜太健在の時にそうした言葉が聞きたかった。かつて愚生は坪内稔典に俳句ゴロと言われたことがあるが、坪内稔典は今ごろ、ゴロを巻いているようだ。そして、結論を以下のように、津田このみ「裸たのし世界よ吾に触れてみよ」と紀本直美「太刀魚のフライ広島のサムライ」の句をあげて、

  このみは一八六八年生まれ。長野県松本市に住む。「裸楽のんし」は季語+思いのパターンだが、「世界よ」という呼びかけの大胆さ、おおらかさがパターンに新しい空気をもたらした。この句の前では橋本多佳子も桂信子も色あせる。
 直美は一九七七年生まれ。フライとサムライの取り合わせが絶妙というか、その音感にわくわくする。なんだか分からない不思議さも残るが、それもまた魅力である。
 〈兜太〉のつまらなさ、それをこのみと直美の句がカバーしているのではないか。

 と述べている。その他、本誌では、その兜太をかついで創刊された雑誌「兜太」(編集主幹・黒田杏子)の編集長を務める筑紫磐井の連載「新しい詩学のはじまり⑯ー伝統的社会性俳句⑨能村登四郎の社会性俳句(2)『合掌部落』」では能村登四郎と金子兜太の社会問題に対する見方の違いを述べて、興味深い。さらに、「豈」同人である北川美美「三橋敏雄『真神』考⑲-配列の検証ー季と無季(後編)」は、愚生と同人仲間の贔屓目であろう、と言われるかも知れないが、いよいよ佳境に差し掛かってきているようだ。
 ともあれ、兜太の弟子で若手の宮崎斗士(1962年生まれ)と同世代小暮陶句郎(1961年生まれ)の句を一句ずつを挙げておこう。

   とんぼという語感そのまま指先に    宮崎斗士
   目の端に君置き郡上踊かな      小暮陶句郎



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