2019年7月2日火曜日

小川軽舟「関係ないだろお前つて汗だくでまとはりつく」(『朝晩』)・・・

 

 小川軽舟第五句集『朝晩』(ふらんす堂)、著者「あとがき」に、

 (前略)私の人生は私の世代の標準的なものである。あえて境涯俳句と呼べるような特色はない。しかし、平成も終わろうとする今、かつての標準がもはや標準でなくなっていることに気づいた。私の平凡な人生は、過ぎ去ろうとする時代の平凡だった。だからこそ書き留める意味もあるだろう。「序に代えて」として昨年の暮に日本経済新聞に寄せたエッセイを載せたのは、そのような意図の一端を知っていただければと思ってのことである。

 とある。その「序に代えて」で、

 (前略)私の家族は、いわゆる「標準世帯」である。標準世帯とは、夫が働いて家計を支え、妻は専業主婦、そして子どもが二人いる四人家族である。終戦直後のベビーブームが終わり、若者が地方から都会へ働きに出て核家族化が進むと、日本の家族の典型的なん姿はこの標準世帯になった。(中略) 私が昭和の時代に育ったのも標準家庭だった。そして、平成の時代に私自身の標準世帯を営んできた。しかし、気づけば、標準世帯はおよそ標準ではなくなっている。標準世帯の黄昏である。
 我が家もいずれ子どもたちが家を出て一人暮らしを始めるだろう。私と妻は、どちらかが先に死んで、残ったほうが一人暮らしになる。今の我が家は、標準世帯の黄昏の時代の、残り火のようなものなのだ。(中略)
 
  家族とは焚火にかざす掌(て)のごとく    軽舟
 
特別仲のよい家族でなくてもよいが、何かのときに家族であることを思い出せる家族、焚火をすればかざす掌の伸びてくる、そんな家族でありたい。(後略)

 と記している。ここには、その標準世帯を、彼がきちんと生きてきた清潔な気息が窺われる。ともあれ、愚生の好みに偏するが、以下にいくつかの句を挙げておきたい。

  春装や転轍の揺れいつせいに 
  レタス買へば毎朝レタスわが四月     
  風呂洗ふことごとくわが木葉髪 
  古暦金本選手ありがたう
  種馬は仔馬を知らず春の川
  あめんぼのもうゐぬ水輪ゐる水輪
  颱風裡蛇口捻れば嗚咽のみ
  初旅や戕牁(かし)うばひあふゆりかもめ
  梅咲いてユニクロで買ふもの軽し
  サイダーや有給休暇もう夕日
  蝶沈み蛾は目覚めたる草深し
  遅刻メール梅雨の満員電車より
  押し通す愚策に力雲の峯
  日向水覗いてゐし子消えてなし
  本人は戒名知らず秋灯

小川軽舟(おがわ・けいしゅう) 昭和36年、千葉市生まれ。



★閑話休題・・星野石雀「春雷を軍鼓と信じ徘徊す」(「鷹」7月号より)・・・

 「鷹」7月号(鷹俳句会)は、創刊55周年記念号である。記念企画の特集は「平成、あの年」と題して、平成元年(大石悦子)から平成三十年(宇多喜代子)まで、その年に作られた自句3句とエッセイが多くの寄稿者によって記事掲載されている。とはいえ、愚生の目に、もっとも飛び込んできた記事は、「謹告 日光集同人・星野石雀さんは五月二日逝去されました。心より哀悼の意を表明します。鷹俳句会」というものだった。随分のお歳だとは思っていた。愚生の若き日より、星野石雀はその名の独特をもっても魅了していたから。略歴に、大正十一年九月一日、東京生まれ、とあるので享年96だ。「豈」同人の酒巻英一郎が、星野石雀の句集を買い求めるために、その自宅にアポもとらずに訪ねたときのこと、見ず知らずの若者を家中に入れ、奥様の手づからの茶をいただき、句集にいたっては、持って行きなさい、とくれたということを、幾度となく感激をもって聞かされていた。その頃、酒巻英一郎は、店頭になく、読みたい句集は、俳人の自宅にアタックしていた。彼は後に「豈」同人になるのだが、攝津幸彦の自宅にも押しかけていた。まだ無名の攝津幸彦、当時,資子夫人は(俳人は嫌いで、幸彦の句もまったく読んでいない)、「句集など知りません。夫は、今、会社です」と団地のドアをにべもなく閉められた、というエピソードもある。
 
  踊り子に閻魔詣での手をひかれ     石雀
  音もなく空母の燃ゆる春の海




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