2019年12月29日日曜日

大島雄作「酢海雲をちゆるると啜り国憂ふ」(『一滴』)・・



 大島雄作第5句集『一滴』(青磁社)、著者「あとがき」には、

  前句集『春風』を作った際に考えていたこと、つまり自在に、平易に、好き勝手に詠むという気持ちは全く変わらない。このところ、定期的に吟行に出かけ、自然と触れ合う機会は増えているが、句を整理すると、いわゆる叙景句がどんどん落ちてゆく。結局「作る」のが自分の持ち味なのかと改めて思った。

 と記されている。その成果が本句集というわけである。ともあれ、集中より、以下にいくつかの句を挙げておこう。

  這ひ這ひのかくも無敵ぞ夏座敷     雄作
  かかとから歩かう冬野はじまるよ
  鯛焼のさびしき貌の方が裏
  生ごみに出されてしまひ蛇の衣
  どの眼鏡も約款読めず十二月
  竹馬のいよいよ悍馬となりにけり
  〇(まる)がよからうよ巣箱の入口は
  目借時競輪場の鐘(じやん)が鳴る
  逃水にあり鬣のごときもの
  雪来るかマトリョーシカは出窓にゐ
  指切といふ怖きこと朧の夜
  死の稽古めきたる秋の昼寝かな

 大島雄作(おおしま・ゆうさく)1952年、香川県多度津町生まれ。




★閑話休題・・・山本つぼみ著『英彦山姫沙羅にお雫ー杉田久女考』・・・


著者「あとがき」には、

 (前略)それならと云うことで、「青芝」に掲載した昭和六十三年からの杉田久女考を、青芝主宰にお許しを頂き「阿夫利嶺」に転載する運びとなった。当時「青芝」は昭和六十年一月に先師八幡城太郎の急逝に遭い、悲壮な決意での中村菊一郎主宰を中心の俳誌存続であったので、副主宰として大会時の講演なども率先してしなければならなかった。そして「久女」への旅がはじまった。

 とある。本著の最終章(二十四)に、記された「櫓山山荘虚子先生来遊句会 四句」の前書が、掲載されている四句「潮干人を松に佇み見下せり」「花石蕗今日の句会に欠けし君」「秋山に映りて消えし花火かな」「石の間に生えて小さし葉鶏頭」の句の季節が、それぞれ、春、冬、秋、秋であることと、虚子来訪の日付から推測し、前書きの「四句」とあるのは、「一句」の誤植=間違いだろうと、結論を述べている。
 また、本書タイトル「英彦山の姫沙羅の雫」は、巻尾近くの以下の記述を受けてのものであろう。

  悠久の時の流れの中で、ひと粒の雫は、きらきら輝きながら、英彦山の岩の間に消えた。一輪の姫沙羅の花の淡いピンクの色となり、葉先のみどり濃い憂いに染まり、枝の茶褐色をも伝わりながら、地上までの空間は輝いて・・・久女が愛してやまなかった英彦山全山の自然の中に解けこんでいったのである。

山本つぼみ(やまもと・つぼみ) 昭和7年。厚木市生まれ。



撮影・鈴木純一 とくに何もしなかった↑

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