2021年2月6日土曜日

樋口由紀子「ひとことでいうとジャングルジムの上」(「晴」第4号)・・・

 

 「晴」第4号(編集発行人・樋口由紀子)、巻頭のエッセイは関悦史「にぎやかな虚無ー『晴』第3号を読む」、主要には、月波与生「目玉 おやじ解体されクーデーターらし」、広瀬ちえみ「絶景を見に行く殴り倒しつつ」、樋口由紀子「おじさんがいたからおじいさんをけす」評に費やされている。その冒頭に、


 「ゲゲゲの鬼太郎」の目玉おやじが解体されるときは、やはりまず目玉と解体以下とで切断されるべきである。「目玉 おやじ」の一字空けはタイポグラフィのような視覚効果を帯びつつそのことを暗黙のうちに物語る。一字空けは新興俳句などでも見かけるが、単語をぶつ切りするパターンはさすがにあまりないのではないか。ここが切れてもいいのだという妙な爽快感がある。(中略)

 目玉おやじの句ではない可能性もある。この一字空けを「目玉がある」「おやじが解体され・・・」という二つの像を並べ、しかもそれは「目玉おやじ」のことではないと示すためのものと取るならば、目玉を脱落させただけの普通の人である「おやじ」がバラバラにされたとも考えられるのだ。


 とあった。嬉しかったのは築網耕平「妹尾凛『Ring』評」に、じつに久しぶりに彼の文に出会えたことだ。筆法は穏やかなれど、以前と同じく自身の句観に照らし、きちんと評されていた。最後に「乞うご期待というところかな」という終わり方などは、いかにも彼らしい締めだった。また、いなだ豆乃助「川柳についての短い覚書」には、説得力があった。


 (前略)川柳とは何かという定義や、これは川柳じゃないという論争は不要なのである。何故なら川柳という世界は大人になれない、永遠の少年少女の爲のものだから。さらに言うと、

 われわれは常にアウトサイダーであることを意識し続けなければならない。メインストリームには決して足を踏み入れられないのだ。だからこそ、開き直ってゲリラ的に活動しなくてはならない。その点川柳という文芸は実にゲリラ的活動にうってつけの詩形である。なにせ所謂季語や切れ字などの縛りはないし、師系という厄介なものにも無縁だからだ。

 われわれは言葉を武器とするテロリストであり、孤独なアナキストである。決して川柳では革命は起こせないが、名も無き市民がわれわれの川柳を読むことにでほんの一瞬、わずかな時間でも読者の日常を変えられるかもしれない。その爲に書いていこうと思う。


 と述べられている。ともあれ、本誌本号より、一人一句を以下に挙げておこう。


   虚無ノ街 地蟲ムラガル犬ノ皺        いなだ豆乃助

   ふんわりとあぶらかだぶらあんぶれら       妹尾 凛

   父に鎌借りし田畑よめでたけれ         きゅういち

   咳をするあなたがいると知る車両         水本石華

   ぴかぴかの電車に乗って泣きました       樋口由紀子

   ワセリンを塗る真冬日の人体図          月波与生

   老境にはいるぶらんこすべり台          松永千秋

   「ん」が来たらみんなで風船あげましょう    広瀬ちえみ



           芽夢野うのき「絶対なんてない絶対綿の花」↑ 

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