2022年3月20日日曜日

各務麗至「この石は琥珀のつぶて春のくれ」(『天地』)・・


  各務麗至増補版定本句集『天地』(詭激時代社)、その「覚書:に、


 六百三十五句。 

 小説の叙述の研究を示唆され、行き着いたのが俳句だつた。私的には、平明はべつにして俳句とは言はずに言へる省略と豊穣を知つた初めての経験であつた。

 作句期間は、昭和五十年代の後半に始まり、平成十八年までの二十数年間。平成十六年に二百句ほどの追悼句集「風に献ず」を編んだのだが、今回の順序入れ替へや破棄したもの、多少手を入れたものーその編を先頭に置き、

 再び追想の、三橋敏雄、麻生知子、そして、わが母へ加へた増補版定本句集とした。(中略)

 若い頃からの、儲けを度外視してくれた馴染みの印刷屋も高齢で廃業を余儀なくし、私は発表手段を失つてゐた。角川の「短歌」及び「サンデー毎日」の、塚本邦雄撰の投稿歌句とその私淑に始まり、老母の永眠まで作句につきあつた。

 その間、俳句関係のへの参加が、暫く小説から離れた原因ともいへなくもないが、俳句以後の作風の変化は単に年を重ねただけではなささうである。

 俳句も亦、私を炙り出すに相応しい一篇の私小説になつた。


 とあり、冒頭に献辞が置かれている。それは、


  貴作「風に献ず」篇のこのたびの一連はひとつの到達

  を示すもの活字印刷で見るとまたちがつた緊張感が

  伝わつてくるやうに思はれます

  ともかく俳句は(俳句にかぎりませんが)他に紛れることのない

  独自性を目ざすことが大切でよいわるいはその後の問題

  と考へます

    句集「風に献ず」扉 三橋敏雄芳翰墨蹟より


 とあった。集名に因む句は、 


   母なくて天地の境見うしなふ      麗至


 であろう。ともあれ、集中より、愚生好みになるが、いくつか挙げておきたい。


   雁喘ぎ喘ぎ流離の暮色かな

   その底はまだ覚めやらぬ雪解川

   木枯しの天には見えず地を走る

   身の丈の塩絶ちがたき薄暑かな

   梅雨の闇きらりと花が散る戦争

   敏雄逝く軒下雀にぎやかに

   慟哭す波羅波羅童子不思議童子

   鳶の空風のかたみとなりにけり

   母似ゐて父似数へる秋まつり

   太陽の及ばぬさきの力かな

   戦歿の骨ありやなし霜柱

   戛戛と昭和尊し去年今年

   動かざる永遠はなし晩夏光

   戦前戦後見えゐて見えぬ蓮根掘る

   母の死に重なる眠り水中花

   夕顔やその先のなき八十九

   凡百の耳埒もなし蚯蚓鳴く




★閑話休題・・各務麗至「たまきはるいのちのけはひ一夜庵」(「戛戛」第139号)・・


 句集『天地』に同送された「戛戛」139号・140号。「戛戛」の発行日は、未来の3月25日(139号)と4月15日(140号)となっている。急ぎ旅である。139号は、小説・エッセイの再録で三橋敏雄・池田澄子・三橋孝子・遠山陽子・各務麗至(ー四国風韻抄―)など。140号は小説集である。その「あとがき」に、


 「戛戛」第百四十号をお届けします。先の「静かな海」だが、

発行日を無視して百三十七号の姉妹号のように同時刊行したが、今回も同様に序数だけを考慮していただければ、と。

 というのも何だか何を無闇に急いでいるのか気にはなるが、

「静かな海」と、いうなら、それより古い作文初期の頃の作品をと思ったのだった。

 今号の三作、雑多に書き散らした中のどうしても棄てるに捨てられなかった当人がいうのも何だが、若き作文初心者の恐れや畏いもの知らずの擱筆作である。(以下略)


 とあった。ここでは、「四国風韻抄」から一句ずつを挙げておこう。


  山上に御座す宗鑑 一夜庵     三橋敏雄

  春日遅遅こらえて永き長き橋    池田澄子

  巨いなる砂の銭形瀬戸の春     三橋孝子

  鯛鮓や静座の漱石胡坐の子規    遠山陽子

  幽溪のこの距離羨し春の人     各務麗至



      芽夢野うのき「花辛夷母と八つでさようなら」↑

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