2022年3月22日火曜日

志賀康「幼年はわが手暗がりに居直りて」(「LOTUS」第49号より)・・


 「LOTUS」第49号(発行人・酒巻英一郎)、特集は、1「多行形式の論理と実践(評論篇Ⅱ)と2「志賀康句集『日高見野』評。特集1の執筆陣は、丑丸敬史「切れるキレ、紡ぐキレ」、江田浩司「歌人が多行形式の俳句を読むこと」、未補×斎藤秀雄「〔対談〕一行という多行」、松本光雄「上田玄『雨滴』短評ー現前の詩学」、高橋修宏「酷薄なる詩型ーある回想から」、酒巻英一郎「絶顚の虹のかなたに」。特集2「志賀康句集『日高見野』評」の同人以外のからの寄稿者は、山本敏倖「神はすでにそこにいた」。ここでは、高橋修宏による論をを少し紹介しておこう。

  

 (前略)一方、多行形式に表記されたタイポグラフィ(活字)は、言うまでもなく近代以降の活字印刷術と決して切り離すことはできません。その意味からも、多行形式の俳句は紛れもなく近代という時代から生み落とされたフォルムです。 (中略)

 たとえば一行棒書きによる俳句が、いかに慣習的(コンペンショナル)なものであっても、そのこと自体は同時に、われわれにとって、或るひとつの外部性として歴史の側から贈与されたフォルムであることを否定できません。しかし、多行形式の俳句とは、そのような歴史から贈与されたフォルムのまま歓待するのではなく、ふたたび各々の作者の内部において解体/脱構築しなければ、ついに成立しえないフォルムでしょう。(中略)

 けふも陸風

 あすは不陸の

 陸玉よ

酒巻英一郎「阿多(原字には多に口偏あり)唎句祠亞」は、すべて三行表記の作品。これまでも頑なに三行表記作品のみを発表しつづけてきた作者らしい、ついに未完のまま完成へと向かいつづける奇蹟の作品群ではないでしょうか。言うまでもなく三行表記とは、容易に一行棒書きに回収されてしまうフォルムです。しかし、そのような危うさに耐えながら、かろうじて均衡を保っている慎ましいフォルムは、他の三行表記の作品に決して紛れることのない静かな言語的強度と、すでに言葉の名人芸とも、マニエリズムとも呼びうる佇いを感じさせます。  


 と記され、至当である。この言に偶然にも対応していると思われる酒巻英一郎の玉文末尾の部分も合わせて記しておきたい(原文旧仮名旧漢字)。


  さて、いよいよ以て多行俳句私感を述べるべきなのか、否か、大いに途惑つてゐる。誰も彼もが軒並み絶望を語つてゐて、どれが一体ほんたうの絶望だかわかりやしない。こんな時はいつそ、一片の夢を語ることこそが一番絶望的なのに違ひない。絶巓の虹の彼方に、さらにその奥に、当分、いや是は死ぬまで使へる手かも知れないぞ。いや待て、ひよつとして夢と絶望の語法をとり違へてしまつたのかも知れない。しかし憂ふるなかれ、多行俳句形式においては日々慢性的革命状態が持続してゐるのだから。


 とあった。ともあれ、以下に一人一句をあげておこうか。


 秋の夜をイルカのために八胞海      熊谷陽一

 提灯のともしび遠き破獄かな       三枝桂子

 月ひとつ降りてきそうな棺かな      無時空映

 大花野まづ白雲を招きけり        丑丸敬史

 ぬばたまの残像すでに我も星も      奥 山人

 な愁いそ九十余歳の余白へ川       小野初江

 わらび山翁と童分けられず        表健太郎

 蝶を放(ひ)る星見の忘却術ならん    九堂夜想 

  

 かざはなに

 汝と我と

 あはせても              酒巻英一郎


 饒舌にならぬと融ける薄氷        志賀 康

 戦前に傾いてゆく岨の月         曾根 毅

 かなぶんの朔日生きてさかあがり    高橋比呂子

   如水を続けて濁りがどんどん薄くなりやがて透明に

   なる、そんな死を迎えられれば。

 処方箋は「降雨」とのみそして花韮に   古田嘉彦

 倍音の出会う水際や青岬         松本光雄    



     芽夢野うのき「ナデシコや大和撫子行方は知れず」↑

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