「里」第205号・2022年11月号(里俳句会/発売・邑書林)、総力特集「Uー50が読む句集『広島』」、奥付に小さく「小誌は第七巻第百号で終刊いたします。残り八十五号」とあるが、月刊なので、まだ7年はある。総力特集の中扉の冒頭には、
今年の原爆の日を前に、大ニュースが走った。当時の編集員、結城一雄さん宅で、原爆合同句集『広島』(1955年8月6日刊)が500冊見つかった!
草田男・鬼房・赤黄男・三鬼・兜太・民喜・重信・六林男・湘子・綾子・一石路・・・そして、無名の、また初めて詠んだ人たちの原爆俳句群。545名、1521句。原爆投下から77年、句集刊行から67年、この句集は、21世紀の私たちに何を伝えようとしているのか。
とあった。因みに、総力特集の執筆者は、特別寄稿・福田葉子「思い出す一齣」、「U-50が読む句集」には、堀田季何「原爆俳句の当事者性と価値」、浅川芳直「証言・記録として『広島』を読む」、川嶋ぱんだ「百句選附随想」。その中の川嶋ぱんだは、
『広島』に収めらている作品は、原爆の光に晒された人、原爆投下直後の広島を見た人、身近な人が原爆の被害に遭った人、原爆以後の広島に思いを馳せ平和を祈った人。さまざまな視点から詠まれた俳句が並んでいます。
この句集を編むために全国から一万二千三句が集まったそうです。句集のなかには俳句だけではなく、当時の状況を克明に記した短文を寄せている作者もいます。そうして選ばれた千五百二十一句からなる句集『広島』が刊行されたのは、昭和三十年。翌年の『経済白書』には、「もはや戦後ではない」という私でも知っているような、有名な一節が記されます。(中略)
未来の平和のために編まれた句集『広島』が刊行されて六十七年。いまロシアが核兵器を使用するかもしれないと囁かれています。その状況下で、句集『広島』が時を超えて出現したのは必然としか言いようがありません。いまこの句集を読み終えて、日本から遠く離れたウクライナで核兵器が使用されないことを、切に願ってやみません。
と記されている。また、各人1ページのエッセイ「わたしの『広島』」には、大塚凱「黙って」、黒岩徳将「鑑賞の範囲」、佐々木紺「深く潜る」、中山奈々「距離」、野住朋可「それでも読む」、堀切克洋「言語と原爆」、小暮沙優「句集『広島』を読んで」、辻一郎「AI俳句・ドラえもん・広島」、野名紅里「句集『広島』のその後を生きる」、早川徹「人間の本質とは」、鳳彩「戦没悼歌(十二首)」、松本薬夏「その理由、あるいは衝動」の面々。
ともあれ、本誌に掲載された句より、いくつかを挙げておこう。
屍の中の吾子の屍を護り汗だになし 和多野石丈子
廃墟すぎて蜻蛉の群を眺めやる 原 民喜
怒りの詩沼は氷りて厚さ増す 佐藤鬼房
音楽を降らしめよ夥しき蝶に 藤田湘子
広島や卵食ふ時口ひらく 西東三鬼
時ならぬ木の葉髪とて嘲はれし 鳴澤富女
被爆地の夕焼口の中まで受く 新井哲囚
歴史説く老教授原子病にて咳く 板倉しげる
手もよ足もよ瓦礫に血噴き黒雨ふる 田原千暉
毛糸編む気力なし「原爆展見た」のみ 中村草田男
原爆地をたやすくはうたう気になれないでいる 吉岡禅寺洞
虚空の掌 灰降らせてる 青い楕円 坂口涯子
杭のごとく
墓
たちならび
打ちこまれ 高柳重信
みどり児は乳房を垂るる血を吸へり 田中菊玻
泥の中に人間積まれ 日の出前 若井三晴
屍体裏返す力あり母探す少女に 柴田杜代
生きながら腐りゆく身を蛆に任す 釜我半夜月
人ゆくゆゑ行かねばならぬ皮ひきずり 小崎碇人
ケロイドの俺は黙つて生きている 岡山弘親
目おほはず見ねばならぬもの原爆図 細見綾子
原爆忌の黒光る蟻働く蟻 立岩利夫
死ぬまでケロイドルーズベルト夫人目を上げず 島津 亮
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