2022年12月9日金曜日

原満三寿「無神の木 手負いの風を睡らせる」(『木漏れ人』)・・


  原満三寿第9句集『木漏れ人』(深夜叢書社)、著者「あとがき」に、


 「主役は人ではなく大自然である。人はそのおこぼれに与って慎ましい生を得ているに過ぎない。」(医師・中村哲 73年の軌跡」BSスペシャル)

 これはテレビ番組で報じられた中村哲医師の言葉です。まったく私も同じ思いです。「木漏れ人」には、そんな寓意がこめられています。(中略)

   おこぼれは句(まが)った言語(げんぎょ)や俳乞食

「句(まが)った」のルビは、見慣れぬものでしょうが、「句」という文字に曲がったという興味深い意味があるのを知って使ってみました。

「俳」も「句」も意味深な言語なんですね。(中略)

   秋彼岸ややっ兜太はうんこかも

 は、兜太さんの句を知らない人はなんじゃこりゃと思われるかもしれませんが、兜太さんの句、

   長寿の母うんこのようにわれを産みぬ   『日常』より

を踏まえての句です。

ちなみに、金子光晴には、「恋人よ。/たうとう僕は/あなたのうんこになりました。」(「もう一篇の詩」『人間の悲劇』)、という衆妙なスカトロジーがあります。

 少々慎ましさに欠けると自覚していますが、こんどの句集も、大自然はもとよりさなざまな世界の言葉や万象のおこぼれをいただいて成り立っているわけです。まさに俳乞食を僭称する所以でもあります。


 とあった。愚生は、原満三寿には、故多賀芳子宅での句会や、ワヤン(影絵の人形芝居)や、金子光晴展でお会いしているが、随分と長い間、ご無沙汰している。その間に、「海程」、「ゴリラ」での彼の盟友だった谷佳紀も急逝された。ご健在らしく、かつ、新境地を開かれており、喜ばしい。ともあれ、愚性好みになるが、集中より、以下にいくつかの句を挙げておきたい。


  群生海はぐれて往くや木漏れ人       満三寿

  切株の幻樹に巣くう空の碧

  凩や湖面を嗤いころげ逝く

  奇形トマト 勝手の闇に鬼火する

  萩の径プラトニック・ラブ濁りだす

  生国は砰山(ズリ)を枕に月ねむる

  人の網(い)に火宅か火車か彼岸花

  三月の海に死蛍きて灯る

  連翹なだれ海と墓域が睦みおり

  万緑は緑棺である粉黛す

  夏の耳〽草むす河馬ネと拝聴す

  春ふたり ひとりをだくに手をひろげ

  悪食して日に日に老いは鮮(あた)らしく

  あの世でも冬眠の穴さがすのか

  わが臨終 絶句がひどく〈死にともない〉

  心なんてあってもなくても空の碧

   ・金子光晴/・病妻(森三千代)に元彼が見舞いにくるというので。

  病妻に紅さすおとこに「人非人伝」

  文明を誤嚥しがちな俳乞食

  俳乞食いまだにおのれを徘徊す

  紅葉して朽ちてゆくにも嬉々として

  地球(ぢだま)病む明日の森を夜が埋め  

  木漏れ人 群生海に還るかな


 原満三寿(はら・まさじ) 1940年、北海道夕張生まれ。


             

撮影・中西ひろ美「少しずつ蟷螂は枯れ歩(すす)むかな」↑

2022年12月7日水曜日

東直子「永遠に忘れてしまう一日にレモン石鹼泡立てている」(『レモン石鹼泡立てる』より)・・


 東直子『レモン石鹼泡立てる』(共和国)、その「あとがき」に、

 

 本のタイトルは、かつて詠んだ私の次の短歌からとっています。

  永遠に忘れてしまう一日にレモン石鹼泡立てている   『青卵』

 時間の経過とともに意識が変わり、忘れ去ってしまうことも多いのですが、書物の中に書かれた言葉は永遠にそこにあり、後世に過去の時間と生きていた人々の思いを新しく伝えてくれることと思います。この本が、そのささやかな一助となれば、たいへん幸いです。


 とある。本書は、東直子の書評を中心にまとめられたもの。興味あるページを自在に開いて読めばよい。各章の扉の次ページにはエッセーが配されてある。「1 そばに居るひと」「2 ちいさな光をあつめるように」「3 切なさの先にあるもの」「4 とまどいながら生きていく」とまとめられていいる。本書より一つのみ、堀江敏幸『めぐらし屋』について記された「あたたかい謎」の個所の部分を紹介しておきたい。


(前略)『めぐらし屋』は、「蕗子(ふきこ)さんと丁寧に「さんづけ」されて描写される女性が主人公である。女性が主人公ということもあり、全体がやわらかな感覚につつまれている。(中略)

 『めぐらし屋』は、文章を味わいながら、人生が細部の積み重ねでできていることを体感できる小説でもあると思う。蕗子さんは、勤続二十年のOLという現在を過ごしつつ、父と一緒に暮らしてきた自分の記憶を蘇らせる。一緒にいられなかった時間は、そのとき父と一緒にいた人の証言によって補われ、想像上の思い出が構築されていく。そのことによって記憶の中の思い出も新しくなる。読者は、蕗子さんという一人の女性に、蘇る記憶を通して親しんでいく。(中略)

  さらに余談として俳人の高柳重信氏の代表句集に『蕗子』があり、一人娘の名前も蕗子である。その高柳蕗子さんは歌人で、私と同じ「かばん」という歌誌に所属しているのだが、蕗子さんからは、前衛俳句の旗手と呼ばれた重信さんの話を聞くことがある。重信さんを「パパ」と呼ぶ蕗子さんは、いつもとても誇らしげに語る。そんな「蕗子」さんの存在が、この小説の着想に関係したのか、しなかったのか。(中略)

 父と娘。母と娘。毎日出会う職場の人。時折出会う古い友達。一期一会の人。様々な形でのつながりが、人生に蓄積されていく。人と関わることはおもしろいのだと、素直に感じられる一冊である。


 とあった。ともあれ、本書には、歌人らしく多くの短歌が配されている。その中からいくつかの短歌を挙げておこう。


 今そばに居るひとが好き水が産む水のようだわわたしたちって   東直子

 腕を植えて生き直せれば永遠の植物としてあなたを愛す       

 かたはらにおく幻の椅子一つあくがれて待つ夜もなし今は    大西民子

 生きるならひとり真夏の叢(くさむら)の人に知られぬ井戸よりもっと 早坂類 

 地球儀に唇(くち)あてているこのあたり白鯨はひと知れず死にしか  大滝和子

 年々にわが悲しみは深くしていよよ華やぐいのちなりけり    岡本かの子

 その母の命に代はる児なれども器の如く木の箱に入る      与謝野晶子

 死に顔を「気持ち悪い」と思ったよごめんじいちゃんひどい孫だね 畠山海香

 「助けて」と言えれば会えたかもしれぬ夜ひとりで過ごす避難所  田宮智美

 失ったものもあるけれど「しっかり」と頬をはじいた鋭いみぞれ 久保田有菜 

 ことごとく生きてゐる人、生きてゐる人だけがどつと電車を降りくる 花山多佳子


 東直子(ひがし・なおこ) 1963年、広島県生まれ。



      撮影・鈴木純一「PKを外したヤツと夜は寝る」↑

2022年12月6日火曜日

尾崎紅葉「茹菱の切先出たり紙袋」(「翻車魚」VOL.06・手長猿号)・・


「翻車魚」VOL.06・手長猿号(走鳥堂)、その編集後記に、


 (前略)細村星一郎さんに「何か面白いことしまさせんか」と依頼。「オンライン共作」の提案を受け、実施しました。共同体で作品を完成させていくという意味では連句からの伝統を継ぐものですが、離れたところにいる三人が同じ時間にログインして十句作品を一緒につくる方法をGoogleドキュメントという場が可能にしたと考えれば、新しい試みです。この試みは今後、いろいろなところでアレンジして使ってください(原案:細村星一郎、でお願いします)。


 とあった。もう一つ、高山れおな『尾崎紅葉の百句』(ふらんす堂)が刊行予定らしい。

その「『尾崎紅葉の百句』補遺」が先行掲載されている。紅葉の15句ほどに鑑賞が付されている。ここでは、鑑賞文の短いものを一句、紹介しておこう。


  火を吹くや夜長の口のさびしさに 明治32年(1899)

 最初、火吹き竹で竈の火を吹いているとか、風呂を焚きつけているとか、そんなシーンを思い浮かべた。しかし、特に裕福ではないとはいえ、紅葉の家ではそれは使用人の仕事である(風呂は銭湯だったし)。これは自室で火鉢の炭を吹いているのだ。読書や執筆に疲れ、炭火を吹く。ああ、俺は今、火を吹いているなと思う他は、何を考えるでもなく、赤く熾る火を見つめる。秋の気配も深まった時期、静かに孤独を楽しむ夜の時間が過ぎてゆく。


 以下には、本号より、句をいくつか挙げておこう。


  いっせいに什器が降ってくる白夜 細村星一郎×白野×奥村俊哉(リアルタイム共作)

  くまモン着ぐるみ口から腕を垂らせる暑       関 悦史

  街で最後の電話ボックスは自殺の衝動に溢れている ウェイジア・パン

                          (佐藤文香 訳)

    椎柴(題は六百番歌合に拠る)

  冬の虹消えて椎柴峰に顕(た)         高山れおな 

  文月のよく飛ぶ鳥であられるか           佐藤文香

  


       芽夢野うのき「紅葉狩り端から端を空という」↑

2022年12月4日日曜日

さとう野火「白く生まれ馬酔木花房陽を散らす」(真如堂・さとう野火墓)・・・

 



  昨日、12月3日(土)は、かねてより墓参を思いながら出来ずに、今日になかったが、少し身軽に動けるようになった愚生は、思い切って、野火さんの奥さんに電話し、そのありかを訪ねた。場所は、京都は真如堂法輪院。持参した野火句集『五年日記』(東京四季出版・平成19年刊)を供えた。同行した野火元夫人の城貴代美は野火さんが好きだったビールを供えた。

 さとう野火の本名は佐藤浩(さとう・ゆたか)、1940年、大分県竹田市生まれ、2012年7月26日に死去。享年72。法名は大誉野火浩照居士。俳句は山口草堂「南風」に師事し、立命館大学俳句部を創部した。部の顧問は国崎望久太郎・松井利彦。1970年に、愚生や久保純夫、土井英一、東野利行(月沼)、城貴代美、岡田耕治などと、戦無派集団・同人誌「獣園」を創刊した。京都新聞社を定年退職したのちは、梶山千鶴子「きりん」に師事した。

 巡り合わせか、運よく、京都は紅葉の真っ最中。愚生が3年間を過ごした頃と違って(半世紀前)、すっかり様変わりし、観光客であふれていた。が、思わぬ紅葉狩りを楽しむことができた。



             

      真如堂・去来句碑「涼しさの野山に満つる念仏かな」↑


        


             真如堂社務所にあったフジバカマ↑
















月刊「ひかり」(西山浄土宗総本山光明寺護持会)の選者・城貴代美「西山俳壇」↑

 ともあれ、『五年日記』から、いくつかの句を抽いておこう。

  日の丸も仏壇もなしおらが春      野火
  逃亡の脈絡もなし春の夢
   西山浄土総本山光明寺
  遠近に鶯鳴かす光明寺
  冷し酒わが半生の誤字誤植
  黄落の風筋高し鹿の耳
  茜雲芭蕉が枯野どのあたり
  なすことのまだあり五年日記買ふ

  

     撮影・中西ひろ美「約束の場所はいつもの小春かな」↑

2022年11月30日水曜日

金田一剛「豆腐屋の槽(ふね)の底から水の澄む」(第43回「ことごと句会」)・・


  第43回・メール×郵便切手「ことごと句会」(2022年11月19日付)、兼題は「理」+雑詠3句の計4句出し。以下に一人一句と寸評を挙げておこう。


   鰤並び競りの手ぶりの速さかな        杦森松一

  柿落葉 明日明後日明々後日         金田一剛 

  薄情も自愛も時に老介護           渡辺信子

  椎の実の雨樋(とよ)を転がる夜寒かな    武藤 幹 

  冬木立風の噂は聞かぬふり          江良純雄

  そぞろ寒む棚の撓みの遺物かな        渡邊樹音

  理科室の骸骨さんに初時雨         らふ亜沙弥

  曇天の秋日に慣れし竿のウキ         照井三余

  ふくら雀一歩一歩の世の幸を         大井恒行  


【寸評】・・

・「豆腐屋の・・」ー「豆腐」以外に何も語らず「水の澄む」と結ぶ(三余)。水の冷たさに豆腐を掬う赤らんだ掌が見えます(信子)。

・「鰤並び・・」ー臨場感ですね。師走の活気が伝わってきます(樹音)。

・「柿落葉・・」ー庭にちいさいけれど3本の柿の木、落ち葉の赤さは何とも美しく、きれいな葉を選んでは玄関の靴箱の上、玄関の格子戸に挟んだりと、直ぐに枯れてしまうまで楽しみます。実ですか、どうやら渋柿、鳥たちに食べさせています(亜沙弥)。

・「薄情も・・」ー内容が教科書的に正しいが、それが嫌味なく「俳句」成立!見事だ、特選だ!!(幹)。

・「椎の実の・・」ー「椎の実」と「夜寒」の季重なり、「速さかな」とサラリとしたい(三余)。

・「冬木立・・」ー人の便りもない寂しいところでは、噂さえも届かない。あえて聞かぬふりをする強がりがかんじられてしまう(松一)。

・「そぞろ寒・・」ー遺物は思い出の品か。棚の撓みは心理的な撓み。辛い思い出によるそぞろ寒」(純雄)。

・「理科室の・・」ー20番の句「理科室の窓から冬ざれの匂い」と同工だが、こちらは、いささか滑稽味のある「骸骨さん」。初時雨との取り合わせに功がある(恒行)。

・「曇天の・・」ー魚を釣る人でなければ、うまく説明できないだろう。さて晴天と曇天とどちらが食いつきがよいのだろう?(恒行)。

・「ふくら雀・・」ー冬の雀は不思議と米屋の前に集まります。「米」の文字が読めるのか、店の親爺が撒いているのか(剛)。



★閑話休題・・中田美子「天中に春半月と笛の音」(「ユプシロン」NO.5)・・


 その中田美子の「あとがき」に、


 (前略)初学のころ読んだ詩にはこんな一節があって、最近わりと身に染みる。

     人生は生きがたいものなのに

     詩がこう たやすく書けるのは

     はずかしいことだ。

                伊 東柱「たやすく書かれた詩」


 とあった。ともあれ一人一句挙げておこう。


   少年の手から素直に食べる鹿     岡田由季

   不在そしてぶらんこは風によじれ  小林かんな

   祈るその前に息吸う冬帽子      仲田陽子

   一区画相続となり蜜柑山       中田美子



        目夢野うのき「銅吹きの銀杏の色の濃かりけり」↑

2022年11月28日月曜日

相原左義長「爆心地で汗する無数の黙(もだ)に合ひぬ」(「里」第205号/2022年11月号より)・・

 


 「里」第205号・2022年11月号(里俳句会/発売・邑書林)、総力特集「Uー50が読む句集『広島』」、奥付に小さく「小誌は第七巻第百号で終刊いたします。残り八十五号」とあるが、月刊なので、まだ7年はある。総力特集の中扉の冒頭には、


 今年の原爆の日を前に、大ニュースが走った。当時の編集員、結城一雄さん宅で、原爆合同句集『広島』(1955年8月6日刊)が500冊見つかった!

草田男・鬼房・赤黄男・三鬼・兜太・民喜・重信・六林男・湘子・綾子・一石路・・・そして、無名の、また初めて詠んだ人たちの原爆俳句群。545名、1521句。原爆投下から77年、句集刊行から67年、この句集は、21世紀の私たちに何を伝えようとしているのか。


  とあった。因みに、総力特集の執筆者は、特別寄稿・福田葉子「思い出す一齣」、「U-50が読む句集」には、堀田季何「原爆俳句の当事者性と価値」、浅川芳直「証言・記録として『広島』を読む」、川嶋ぱんだ「百句選附随想」。その中の川嶋ぱんだは、


 『広島』に収めらている作品は、原爆の光に晒された人、原爆投下直後の広島を見た人、身近な人が原爆の被害に遭った人、原爆以後の広島に思いを馳せ平和を祈った人。さまざまな視点から詠まれた俳句が並んでいます。

 この句集を編むために全国から一万二千三句が集まったそうです。句集のなかには俳句だけではなく、当時の状況を克明に記した短文を寄せている作者もいます。そうして選ばれた千五百二十一句からなる句集『広島』が刊行されたのは、昭和三十年。翌年の『経済白書』には、「もはや戦後ではない」という私でも知っているような、有名な一節が記されます。(中略)

 未来の平和のために編まれた句集『広島』が刊行されて六十七年。いまロシアが核兵器を使用するかもしれないと囁かれています。その状況下で、句集『広島』が時を超えて出現したのは必然としか言いようがありません。いまこの句集を読み終えて、日本から遠く離れたウクライナで核兵器が使用されないことを、切に願ってやみません。


 と記されている。また、各人1ページのエッセイ「わたしの『広島』」には、大塚凱「黙って」、黒岩徳将「鑑賞の範囲」、佐々木紺「深く潜る」、中山奈々「距離」、野住朋可「それでも読む」、堀切克洋「言語と原爆」、小暮沙優「句集『広島』を読んで」、辻一郎「AI俳句・ドラえもん・広島」、野名紅里「句集『広島』のその後を生きる」、早川徹「人間の本質とは」、鳳彩「戦没悼歌(十二首)」、松本薬夏「その理由、あるいは衝動」の面々。

 ともあれ、本誌に掲載された句より、いくつかを挙げておこう。


  屍の中の吾子の屍を護り汗だになし     和多野石丈子

  廃墟すぎて蜻蛉の群を眺めやる         原 民喜

  怒りの詩沼は氷りて厚さ増す          佐藤鬼房

  音楽を降らしめよ夥しき蝶に          藤田湘子

  広島や卵食ふ時口ひらく            西東三鬼

  時ならぬ木の葉髪とて嘲はれし         鳴澤富女

  被爆地の夕焼口の中まで受く          新井哲囚

  歴史説く老教授原子病にて咳く        板倉しげる

  手もよ足もよ瓦礫に血噴き黒雨ふる       田原千暉

  毛糸編む気力なし「原爆展見た」のみ     中村草田男

  原爆地をたやすくはうたう気になれないでいる 吉岡禅寺洞

  虚空の掌 灰降らせてる 青い楕円       坂口涯子

  

  杭のごとく

  墓

  たちならび

  打ちこまれ                 高柳重信


  みどり児は乳房を垂るる血を吸へり      田中菊玻

  泥の中に人間積まれ 日の出前        若井三晴  

  屍体裏返す力あり母探す少女に        柴田杜代

  生きながら腐りゆく身を蛆に任す      釜我半夜月

  人ゆくゆゑ行かねばならぬ皮ひきずり     小崎碇人

  ケロイドの俺は黙つて生きている       岡山弘親

  目おほはず見ねばならぬもの原爆図      細見綾子

  原爆忌の黒光る蟻働く蟻           立岩利夫

  死ぬまでケロイドルーズベルト夫人目を上げず 島津 亮



★‥閑話休題・・第24回「朝鮮文化とふれあうつどい」(於:府中公園)・・



            

 昨日、11月17日(日)は、府中市中央公園に於て、第24回「朝鮮文化とふれあうつどい」(主催 チマ・チョゴリ友の会)が開催された。愚生は、午前中、中央文化センターの廃油回収業務の担当日であったので、ついでと言っては恐縮だが、業務が終わった後、隣接する府中市中央公園に行き、朝鮮学校の生徒たちの演奏や舞踏、またテコンドーの演武などを見学、フリーマーケットで、靴、杖などを衝動買いした。いくつかの写真を上に掲げておこう。



   撮影・中西ひろ美「つやつやの汝に触れむとすれば落つ」↑

2022年11月24日木曜日

山川桂子「生と死のあはひを縫ひて散る紅葉」(第11回「きすげ句会」)・・


 本日24日(木)午後1時半から、第11回「きすげ句会」(於:府中市生涯学習センター)だった。兼題は「大根」。句会の後、府中市駅そばのくるるの中華店にて、句会発足後、初の懇親会が開かれた。


  寒鴉ちょっとだけよのうさぎ跳び    寺地千穂

  煮大根透きとほりきて母の味      山川桂子

  退院の訛り飛び交ふ小春かな      高野芳一

  大根抜く引っぱり合いぞ我と土     井上治男

  大根のせり出す肩の白さかな     壬生みつ子

  湖(うみ)風に赤蕪吊るす竿連ね    濱 筆治

  光浴び古木の影よ白障子        井上芳子

  白黒映画淡い口づけ冬銀河      久保田和代

  陽射しよし大根干すや山に雪      清水正之

  トントントン朝の大根母のみそ汁   大庭久美子

  晩秋や湖面に浮かぶカヌー艇      杦森松一

  大根や道元の書は「空」とのみ     大井恒行


 次回は、12月15日(木)、兼題は「山茶花」。



       目夢野うのき「黄薔薇一輪そうそうそう誰の忌か」↑