2017年3月9日木曜日
永田耕衣「夢の世に葱を作りて寂しさよ」(「汀」3月号より)・・
「汀」3月号には堀切実「永田耕衣の俳句観(一)」が掲載されいる。(一)とあるからには連載になるのだろう。副題は「-イロニーとアレゴリー -」である。論の枕に石田波郷と永田耕衣の交友に触れて、いわば「汀」の師系に対する挨拶から書き起こされている。そして、
耕衣にとって「イロニイ精神」とはそのまま「批評精神」であったり、また「俳句の思想」でもあったのである。そして当時の現代俳句に要求された「批評精神」はまさに「批評精神のイロニイ化」によってしかなし得ないものだろうとみる。
と述べる。愚生は永田耕衣というと、その弟子ぶりに、師・耕衣を仰ぎ続けた安井浩司を思いうかべるのだが、その安井浩司は「夢の世の」耕衣句に、
耕衣がこの句で述べた〈夢の世〉とは何なのか、というとであった。夢の世が作者耕衣が心中に展いた夢の世と、読者の私が率直に心中に展いた夢の世と、どこか違っていたのではないかということであった。私が、この不思議なぼかし(傍点あり・・・)に思いを高ぶらせた夢の世とは、いわゆる夢の世界であって、これは此岸と隔絶した夢幻絶対の世界であり、そこにきわめて卑俗な葱を発見した永田耕衣の恐るべきイロニーを看取していたのである。(「歳月の方法」昭和48年「俳句評論」142・143合併号)
といい。「闇の思想」(昭和45年「俳句評論」101・102・103合併号)では、その俳句のイロニーについて、
俳句はすでに最小の形式であり、その中での革命は、共喰ひに終わるーーと揶揄したのは吉田一穂である(「桃花村」)。私が、この言葉に多少とも感ずるところがあるのは、形式の残酷さ、ということだけではない。いや、まさしく形式の残酷さそのことなのだが、形が形へ反転するイロニーの残酷さとして感受する。俳句は、イロニーの形式ではない、形式そのものがすでにイロニーなのだ。
と述べた。いずれも半世紀近く以前、確かに現代俳句が熱かった頃の、或る意味では現在でもなお掛け替えのない言説であろう。そして、晩年の人であり、恩師であった永田耕衣は97歳をもって帰天(1997・8・25)したのだった。
近海に鯛睦み居る涅槃像 耕衣
踏切りのスベリヒユまで歩かれへん
枯草の大孤独居士ここに居る
枯草や住居無くんば命熱し
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