2017年5月25日木曜日
中永公子「誰もが知ってて サラダボールに死の灰降る」(『星辰図ゆるやかなれば』)・・
中永公子『星辰図ゆるやかなれば』(ビレッジプレス)。謹呈用紙ではなく、名刺が挿まれていた。それには「HAIKU ARTIST 中永公子」とあった。本書は一般的には句文集ということになるのだろうが、投げ込みの栞文は、堀本吟「喪失が再生の契機である・・・中永公子の芸術的スタンス」、わたなべ柊「世紀を越えて」、Mis sio「フンデルトヴァッサーの言葉で描かれた映像作品と公子と私」の三名。句作品とエッセイには初出誌と年号が記されており、、いわば中永公子の来し方と俳句に向かってきた姿勢のおおよそが知れる構成になっている。したがって、中永公子に初めて出会う人にもそれなりのイメージが湧くだろう。序文は伊丹三樹彦「恐るべき女流作家」、以下のように記していう。
私は今、超季世界最短詩の俳句でもって日本文化の一端とすべく、「海を越える俳句」を志して写俳新書(「ガンガの沐浴」)をスタートさせた。
中永公子の句集出版や朗読舞台の活動はその尖兵なのである。句集はその成果を遺憾なく発揮している。公子を教えた私は、どうやら教えられる側に廻った気もする。
何と、中永公子は俳句アーチストなのである。
そして、また第一章「星辰図」の前扉には「星辰図ゆるやかなれば旅に出る when the stars aline, I set out 」と置かれている。その中に、
私は数年前、死の想念につきまとわれたことがある。乳がんを宣告されたのだ。
手術を受け。退院したとたん地震にあった。阪神大震災である。からだと風景がともに崩れてゆくというなかで、一連の俳句を書いた。
雪の夜の微塵となりてねむるかな
あるいは、別の「映像評伝 伊丹三樹彦メイキング」では、
そして私の原点は伊丹三樹彦にあった。
(HAIKU・世界・映像とのコラボレーション・・・)
私は、二十歳のとき、三樹彦に出会い、三十年間その仕事に影響を受け続けてきたのだ。
という。僥倖というべきか。さらに「俳句朗読コンサート」では、
言葉を活字だけでなく、からだを通して、声として、音楽のように表現することは、至福だ。
ひとり籠りがちな書く作業から思いを外に向けて発散する。声で、パフォーマンスで聴衆とのコミュ二ケーションをはかる。言葉の脈動が、じかに聴衆に伝わってゆき、共振する。言葉以上の思いを手渡すこともできる。群読してもいいだろう。
とも述べている。ともあれ、いくつかの句を以下に挙げておこう。
白鳥のくちばし重く日に沈む 公子
花ひぶく胎内 古代の魚およぐ
ぶち撒ける カットグラスも昼月も
あめつちにアリスの椅子はありません
トランプ散る 兵隊の散る夜は
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