2017年7月26日水曜日
松本邦吉「逆光の昭和背高泡立草」(『かりぬひ抄』)・・
松本邦吉『かりぬひ抄』(ふらぬーる社)、自跋に、
本書は、俳句を学びはじめた二〇〇一年から二〇一六年までの句の中から、菲才ながら独力で四二〇句を選んだ。句の構成は心緒にかなうほぼ制作の年代順とし一部の句に前書を付した。
とあり、扉裏には、オクタビオ・パス『弓と竪琴』の「われわれが詩にポエジーの存在を問うとき、しばしば、ポエジーと詩が勝手に混同されているのではなかろうか?」が献辞され、最初のぺージには自序として、
春の野はまだかりぬひのひかりかな
の句が掲げ配されている。加えて装幀も自装であることをおもえば、本集のすべてに松本邦吉の目と手が行き届いていることに気付かされないわけにはいかない。自跋の「独力で四二〇句を選んだ」とあったことに、愚生は、ふと、高屋窓秋が「俳句は一人でするものものです」と言った言葉を思い出す。最後は俳句を作ることもまた孤独な作業であるという覚悟を述べたものだと、理解しているが、座の文学と言われようと、言われまいと創作に関わるということは、所詮、そういうものかも知れない。端整な句姿の句群である。
詩人の松本邦吉が句歴に「二〇〇一年六月二十八日 突然、五七五のリズムに襲われる」と記すとき、他人にはうかがい知れない何かがあったのだろう。ともあれ、本集よりいくつかの句を以下に挙げておこう。
湘南
盗まれし鶴かもしれず春の雲
チェーホフの話少女の息白し
冷奴かたちくづしてしまひけり
平成の皹皸の痛むなり
いづこにも四門ありけり冬籠
おぼろ夜の朧を抱くも抱かざるも
鰯雲捨てがたきものなほあまた
波ハミナ光ノカケラサングラス
黙禱の果てなき秋の暑さかな
松本邦吉(まつもと・くによし)1949年、東京生まれ。
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