2017年7月28日金曜日
南陀楼綾繁『街を歩いて本のなかへ』(原書房)・・
南陀楼綾繁(なんだろう・あやしげ)、1967年、島根県出雲市生まれ。その名前からして怪しい。何者だろうかと思う。その名前に惹かれて、数年前、「週刊読書人」に連載されていたコラムを楽しみにして読んでいた。愚生は、ことさら本好きというわけでもないが、昔、書店にいたせいか、出版業界のあれこれについて、すこしは興味がある。
「一箱古本市」は彼のアイデアらしい。一箱だから、開こうとおもえば、全国どこででも開ける(ただし、採算はわからない)。「・『本屋』の概念が変わる?」で、
改めて思うのは、これだけネットが発達していても、本を必要としている人たちは確実にいるということだ。いやむしろネット時代が本の必要性を高めたと云えるかも知れない。
これまで、本に関する発信は都市中心で、地方の本好きはそれを受け取る側だった。しかし、情報が均一化し、双方向のコミニュケーションが可能になったことから、地方でも本に関する活動を行う機運が生まれたのだ。
と言う。あるいはまた、「再販制」と「委託制」が、出版業界の売り上げが下がり続けているにもかかわらず出版点数は増えているとしてと指摘しているが、もっと言えば、とりわけ、新規参入の版元には、取次会社は次の新刊が出るまで、売り上げ金の支払いが保留される契約になっていたので、いきおい新刊を次々に出さざるを得ない、そうしなければ保留された売上金の回収ができないという構造的な問題をはらんでいたと思う(愚生がいた十数年前のことだから、今は少しは改善されているかもしれないが・・)。
本書第3部「早稲田で読む」には、愚生の定年後に勤めた出版社が高田馬場にあったので、昼休みにはよく馬場坂上から早稲田方面に歩き、古本屋を覗いていた。平野書店や三楽書房、その2階にあった丸三文庫、坂を下って現世までが、昼食後の散歩コースだった。というわけで、その頃のことを鮮やかに思い出させてくれたのだ。
そうそう、第二部「古い本あたらしい本」の章のなかに、田島和生『新興俳人の群像ー「京大俳句の」光と影』(思文閣)の書評があって、著者の「近所の入口に、『戦争が廊下の奥に立つてゐた 渡辺白泉』という手書きの紙が貼られていて、見るたびに気になっていた」という。そして、その結びは以下のように記されている。
国家権力が思想や言葉を管理することが、多くの悲劇を生んだ。この一年ほどでじわじわとキナ臭くなっていることを考えると、悲劇がまた繰り返されるかもしれない。気がつけば、それは「廊下の奥に立つて」いるのではないか。
(『サンデー毎日』二〇一五年四月五日)
挙げられていた白泉の句を孫引きして以下に記しておこう。
銃後といふ不思議な町を丘で見た 白泉
赤く青く黄いろく黒く戦死せり
繃帯を巻かれ巨大な兵となる
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