2017年12月24日日曜日

桂信子「忘年や身ほとりのものすべて塵」(『この世佳しー桂信子の百句』)・・



宇多喜代子『この世佳しー桂信子の百句』(ふらんす堂)、書名の由来は、

  大花火何と言つてもこの世佳し  (平成14年作) 信子 

に因んでいるだろう。第十句集『草影』以後として、主宰誌「草苑」に発表された句である(全句集には収録)。以下は辞世の句、

  昨夜(よべ)よりのわが影いづこ冬の朝 (平成16年)
  冬真昼わが影不意に生れたり     
  
 主宰誌「草苑」最後の号(二月号)の最後の句である、という。本書巻尾に、宇多喜代子は以下のように記している。

 桂信子の主宰する「草苑」は「桂信子の草苑」であって、「草苑の桂信子」ではない、桂信子に代る人はいない。桂信子を師と仰いだ「草苑子」がこれを理解しての終刊であった。 

 その「草苑」は会員誌「草樹」として「草苑子」全員に引き継がれている。随分以前のことになるが、「草苑」編集長であった宇多喜代子は、「私が編集長をやっているのは、桂信子が死んだら『草苑』を終わらせるためよ」とつねづね言っていた。そして見事にそのことをやり抜いた。宇多喜代子が「草苑」を継承しても誰も文句は言わないどころか、宇多喜代子こそその継承者に相応しいと誰もが思ってたいたはずである。
 あるとき愚生が桂信子に作品依頼をしたことがあった。その時、桂信子は「俳句はいくらでもできるのよ」と言っていた。あるいは現俳協の総会などでの挨拶には、さっぱりした歯に衣きせぬ調子で「俳句って楽しい、っていう人がいるけど、そんな簡単なものじゃありませんよ」とも聞いていたので、その「いくらでも出来るのよ」には少し驚いたのだ。
ともあれ、幾つかの句を本書より以下に挙げておこう。

  ひとづまにゑんどうやはらかく煮えぬ    信子
  夫逝きぬちちはは遠く知り給はず
  誰がために生くる月日ぞ鉦叩
  ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき
  窓の雪女体にて湯をあふれしむ
  鯛あまたいる海の上 盛装して
  鎌倉やことに大きな揚羽蝶
  たてよこに富士のびてゐる夏野かな
  死ぬことの怖くて吹きぬ春の笛
    その朝、林田紀音夫氏の訃をきく(八月十五日)
  蝙蝠傘林田紀音夫逝きたると
  これよりは一月一日窓秋忌
  亀鳴くを聞きたくて長生きをせり
  











 




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