2018年6月28日木曜日

江田浩司「山鳩のさりたる庭に日は翳りわれ亡き後(のち)のうす闇にあふ」(『孤影』)・・



 江田浩司歌集『孤影』(ながらみ書房)、憂愁のただよう歌群であると書いて、本を閉じあらためて、帯の惹句を読むと、愚生が述べるまでもなく、以下のように記されていた。

 湿り気をおびた曇り空の下、憂愁の影を惹きながら歩む一人の旅人。もう十分に言葉の豊穣な果実を捥ぎ取ったか。果汁の滴り、両掌に受けるのはさびしい定型の水音だ。

 愚生よりも、一回り若い歌人のこの憂愁は、いったいどこから来ているのか、それが、いうように定型のなせるわざなのか。江田浩司は、これまで俳句についてもよく発言している。集中の「孤客」には、

  秋の日のほこりをはらふ身のうちは「衰燈絡緯寒素(すいとうらくゐかんそ)に啼(な)く」と

 中唐の夭折した詩人・李賀の詩文を込めた一首が置かれている。また、集名「孤影」に因む歌は、

  火の中にむち打つ音を聞きながらあゆみゆけるは孤影なりけり

 であろう。先著、江田浩司『岡井隆考』の批評性を思えば、放埓な岡井隆を批評した、その手のうちに、かくも憂愁を湛えさせているものはなんであろうか、と、立ちどまらざるをえない。ともあれ、集中より、愚生好みのいくつかの歌を以下に挙げておこう。


  火の柩あまたの聲につつまるる汝(な)が敗北も歓喜であれと
  ものみなが動きはじめる早朝にさ庭や澄めり山鳩きたる
  つややかに重なりゆける夕闇は青年といふ礫(れき)となるべし
  そそぎたるあをき光に聲はみち虚空の窓ゆいのちあふるる
  ものみなの像(かたち)は影につつまれて歌ごころのみのこる黄昏(たそがれ)
  古(いにしえ)の詩に詠まれたる鷺の足みづからの悲(ひ)に立つごとく寂(さ)
  戦前の光は闇をルビとする戦後に曳ける尾に及ぶまで
  夏空にとどまる雲はしろかねのひかりの綾(あや)をなしてかがよふ




           撮影・葛城綾呂 タチアオイ↑
  

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