2018年12月21日金曜日
中田剛「ひるがへるたびつばくらめふえてゆく」(「白茅」第18号)・・・
「白茅」第18号(白茅俳句会)、先日の「豈」忘年句会で、酒巻英一郎は、その同人所属を「LOTUS」「豈」「白茅」です、と自己紹介をしていたが、その酒巻英一郎の多行俳句作品を「白茅」創刊号で手にして以来、まさに久々で「白茅」を手にした。奥付けには発行・編集人に羽野里美、共同代表に中田剛、坂内文應とある。青木亮人の連載「俳句と、周りの景色」(18)-トルコ行進曲ーの結びに,目が行った。
(前略)平成期に入り、三島の楯の会を想わせる句群を詠んだのは関悦史である(ガニメデ」70号、二〇一七)。(中略)
若き兵らはアニメのキャラのように平板で、永豪回帰の不穏さを帯びつつ青ざめた表情で教練や戦闘に勤しむ。アニメ「スカイ・クロラ」で永遠に死ねない少年少女らが散華しては生まれ、戦闘機に乗って理由の不明な戦争を続けるように、句群のなかで英霊はキッチュに空を翔け、切腹の作法や散華を繰り返し、復活する。快活さと物憂さが混じりあい、汗と哀しみがたゆたう彼らの姿はグールドのトルコ行進曲が手繰り寄せる人形のようだ。(中略)安っぽく、奥行きを欠いた、チャーミングですらある兵隊たちの行進、それを寂しげに鼓舞する人工の旋律は、戦後日本から平成を貫く響きに他なるまい。
空虚守ルタメノ教鞭完璧ニ 関 悦史
と述べられていた。愚生は、青木亮人が多くの連載を抱えて、総合誌などにも色々書いているのを、注目して、できるだけ目を通そうとしているのだが、それぞれの媒体に応じてかき分けているような印象がある。がしかし、こうした同人誌などに忌憚なく書いているものの方が格段によく優れているように思える。確かに器用に書き分けることも大切なことなのだろうが、彼の透徹した筆致については、いかなる処においても、遠慮、配慮することなく維持してもらいたいと願っているのだ。他に、飴山實繙読「『変身の思想ー西東三鬼論ー」も面白く読ませていただいた。 ともあれ、同誌より一人一句を以下に挙げておきたい。
一日が擬宝珠の花の盛りなり 金田咲子
風よりも白く九月の手紙かな 栗島 弘
蟬しぐれ抉られし幹のひとところ 中田 剛
もの思ふはじめは水の澄みゆける 坂内文應
射干の種採ることも一ㇳ日かな 石川やす子
青空に群赤とんぼからみつつ 川田和子
天高し忘れし事も忘れけり 神蛇 広
花静かなり人静かなり薄日 久保京子
どこからも雲の峰聳つ吉野かな 熊瀬川貴晶
春物を脱ぎて水着のマネキンか 小山宗太郎
語り部のしわのふかさよ原爆忌 清水 薫
同じ絵のゆつくり回る絵灯籠 長谷部司
とほくちかく蜩こゑをかさねては 服部由貴
きりもなく沙羅咲いてをり散つてをり 羽野里美
つくづくと手強さうなる大南瓜 本間良子
西日差す窓辺に並ぶ一斗缶 山鹿浩子
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