2018年12月9日日曜日

林桂「海(うみ)からの風(かぜ)の中(なか)なる桔梗(きけう)かな」(「鬣」第69号)・・



 「鬣」第69号(鬣の会)、特集のひとつは「自由律の根拠」。論考は林桂「井泉水は印象律と言っている」、西躰かずよし「くりかえしのあとで」、佐藤清美「橋を架けた人」。ほかにも興味つきないエッセイや論が満載である(水野真由美「追悼・寺田澄史ー本という船」などは他の誌では見られない)。なかでも俳句時評の外山一機のものにはいつも啓発されることが多いのだが、あくまで愚生の印象にとどまると思うが、少しばかり消化不良気味なのである。例えば本号の「抑圧と希望の果ては」の結びに、

 (略)「本心」の告白という呪縛に疲れ果てたのなら、そうでないやりかたで書けばいいー現に朔太郎だって、まことに不本意に「南京陥落の日に」を書いたではないか。その意味では、戦争と詩歌の問題とは、近代において詩歌を読み、書くことの本質にかかわる問題であるように思われる。

 と、記されているが、愚生には、その先の、外山一機の結論を聞きたいのである。つまり「書くことの本質にかかわる問題」とは何かを、外山一機はどのように考え、どのようにしたいのかを簡明に語って欲しいのである。隔靴掻痒なのだ。いやそれは愚生の何も考えていない浅はかさである、ということなのかもしれないが・・。
 林桂「井泉水は印象律と言っている」では、自由律俳句の歴史をよく辿っていて、自由律全盛の大正時代において、「今まで俳句用語として、自由律という言葉を使用してきたが実は前述の大正年間の井泉水、碧梧桐の論において、自由律という言葉は使用されていない。井泉水は『リズム』という言葉と『印象的』という言葉を使っている。この期の自己認識は『新俳句』が近いものと思う」と述べている。自由律俳句の位置づけを考えるのに、需要と思われるポイントがいくつも提示され、貴重な論だと思う。ともあれ、同人諸氏の一句を挙げておきたい。

  ここは蛸の夢を展示しています      永井貴美子
  みせばやの花のひとつの夜も草枯るゝ    堀込 学
  悦楽も我楽多も積み秋の舟         佐藤清美
  白木蓮(はくれん)に風(かぜ)の道(みち)(あ)く光(ひかり)かな
                                 林 桂
  鳴き残し河鹿はすでに瀬の奥へ       丸山 巧
  行く当てもないからまたもや空を見る    暮尾 淳
  橋もまた夏霧の忘れ物であり       水野真由美
  
  黒海(こくかい)
  (なみ)
  くろぐろと
  (あ)がりけり             中里夏彦
  
  しんしんと
  こぬれを
  かへる
  ゆふこだま                深代 響

  秋の聲なら空耳で聞きましょう       青木澄江
  夏風や腰板にある貂の跡          樽見 博 
  飛石を濡らして町中の喜雨         九里順子
  瓜馬の火を焚く前をいななけり       堀越胡流
  ふた年をちよきと思へばしじみ汁      外山一機
  ももいろの勇気で出来ているイルカ   吉野わとすん
  刑死あり川渡り来る雷神(はたたがみ)   萩澤克子
  益荒男の日傘なにやら世紀末     伊藤シンノスケ
  みえないあいだは手をふってください  西躰かずよし
  十年は死なないと口約束          永井一時
 
  言問わん
  木ノ葉木菟
  病葉を踏み
  ヴ・ナロード               上田 玄

  揺れっ
      だ

  時計口の中で冷たい            林 稜

  空似なれど無声映画のほくろかな      西平信義
  自らと自ずからの間の言葉かな      田中霆二郎 
  シベリアの真白を知らぬ鳥来たる       蕁 麻
  生前をたまに忘れずえごの花        後藤貴子



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