松林尚志『一茶を読む やけ土の浄土』(鳥影社)、松林尚志には、これまでも『斎藤茂吉論』(北宋社)、『芭蕉から蕪村へ』(角川学芸出版)、『和歌と王朝』(鳥影社)、若き日には『古典と正統』(星書房)、また『日本の韻律』(花神社)など、多くの著作があるが、いよいよ一茶にまで手を染めたのか、という驚きがある。米寿を越えてなお衰えぬ探求心と執筆意欲には畏敬の念を禁じ得ない。そして「あとがき」にしるされているが、「なお、『俳人真蹟全集』第十巻の一茶の資料提供者に松林彦五郎とあるのは私の祖父で、そのことも何か縁を感じるので蛇足としたい」とあるのは、なかなか深い縁というべきであろう。
本著は一茶の評伝ではあるが、奇をてらったりするところなく、丹念に資料を読み解き、一茶の足跡をたどっている。本書の書名にもなっている「やけ土の浄土」は次の句に因んでいよう。柏原の大火で83軒が焼けたときに一茶の家も焼けたが土蔵だけは残ったという。
土蔵住居して
やけ土のほかりほかりや蚤さはぐ (注・下の「ほかり」は踊り字)
また、本書では続けて、
失った未練など微塵も感じさせないような、いつもの蚤と暮らす一茶がいる。ほかりほかりの一茶ならではの擬態語が、浄土のような雰囲気を出していて絶妙である。文虎の終焉記には、急火にかこまれ、俳諧寺の什物が灰燼となったが、「三界無安の常をさとりて、雨ふらばふれ、風ふかばふけとて、もとより無庵の境界なれば、露ばかり憂(うれ)うるけしきなく、悠然として老をやしなふありさま、今西行とや申しはべらん。」とある。
と、あるいは、結び近くでは、
一茶を読んできて思うことは、極端なまでに二つに引き裂かれた心の動きが見えてくることである。相続をめぐる強引なまでの肉親との争いをする一茶がいるかと思えば、一方に蛙や蚤と睦む少年のような一茶がいる。芭蕉を仰ぎ、その道を求め続けながら一方で諧々たる夷ぶりの俳諧に自適する一茶がいる。一茶が我執の強い人間であったことは日記からも伝わってくるが、そのことが表現者としての才能に磨きをかけたことは当然である。その我執の呪縛からの脱出が激しいまでの阿弥陀仏への帰依であったと思う。そしてもう一つは一日五合の酒ではなかったか。
と述べられている。ともあれ、書中よりいくつか一茶の句を挙げておこう。
古郷やよるもさはるも茨の花 一茶
下々(げげ)も下々下々(げげげげ)の下国(げこく)の涼しさよ
是がまあつひの栖か雪五尺
露の世は露のよながらさりながら
けふからは日本の雁ぞ楽に寝よ
ともかくもあなたまかせのとしの暮
春立や愚の上に又愚にかへる
やれ打な蠅が手をすり足をする
★閑話休題・・松林尚志「満月を包みて雲の卍なす」(「こだま」平成30年10月号より)・・
「こだま 木魂」(編集発行人・松林尚志)、同人7名の句と、講評、さらに、エッセイでは尚志こと「山茶庵消息」が載る冊子である。一人一句を以下に・・・車椅子来ず隻脚の蟋蟀に 勝原士郎
芭蕉忌や庵のみの虫声聴かな 小島俊明
信州を佃煮にして虫三珍 石井廣志
十三夜足らざるもよき円のあり 阿部晶子
カラフルな昆虫図鑑柿甘し 山田ひかる
看取る日日蓑虫となり揺るるのみ 奥村尚美
一筋の虫の音頭上の闇に沈む 松林尚志
撮影・葛城綾呂 冬来たる↑
松尾芭蕉
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