「山河」355号(山河俳句会)の第48回《競作チャレンジ俳句・課題「錯覚」冬の季》の入選句と鑑賞を今号も書かせていただいたので、寸評は天・地・人のみになるが以下に紹介しておきたい。鑑賞文のタイトルは「錯覚御免!」。
天 煮凝りや錯覚アート美術館 くぼゆうこ
数十年前の隙間だらけの台所では、厳冬下、夕食の煮汁が凍って、翌朝には自然に煮凝りができていた。煮魚が閉じ込められている。閉じ込められるという意味では美術館だって同じ。『錯覚アート美術館』という本であるなら、閉じ込められることにおいて「煮凝り」との取り合わせは絶妙である。
地 折角の錯覚ポインセチアの自覚 栗原かつ代
この句は「折角」「錯覚」「自覚」と言葉の音韻に引きづられ、音の連想から転じ、意味を変え、俳句の一行の特質を生かし、上から下へ、まるで言葉遊びのように詠み下される。結句はクリスマスの喧騒を背後にした「ポインセチアの自覚」の登場で止めを刺したところに妙があろう。
人 時にはふわり錯覚もあり百八つ 田島満喜子
除夜の鐘は百八回打たれる。百八の数珠もある。人間に百八の煩悩があるというところから想を得た句である。そうした悩ましい、深刻な問題であっても、錯覚も含まれている。それが上句「時にはふわり」である。ここに救いがある。
秀 錯覚と言い切る平和賀状書く 新井 喜久
錯覚を逆手に取れば雪女郎 勝山 京子
小春凪錯覚という海の底 国藤 習水
錯覚の明日へ冬蝶舞い上がる 岡田 恵子
錯覚も惚けの始まりのっぺい汁 藤波 俊子
錯覚は最期の窓辺冬の星 平林 敬子
錯覚を角度が作る冬帽子 二村 吉光
錯覚の日々の始まる室の花 小林十六夜
錯覚の天中殺に入るなまこ 山本 敏倖
錯覚という名の列車冬銀河 桜井万希子
佳 笑窪から錯覚光線冬木立 近藤 嘉陽
だまし絵に落ちた錯覚鬼やらい 赤坂 陽子
錯覚はクリスマスキャロル聴いたから 多田 文代
寒夕焼すべて錯覚かと思う 植田いく子
ボジョレヌーボー錯覚といふ添加物 宮川 欣子
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