大牧広第10句集『朝の森』(ふらんす堂)、その帯には、
敗戦の年に案山子は立つてゐるか
戦争体験の一証言者として/老境に安んじることなく
反骨魂をもって/俳諧に生きる著者の/渾身の新句集。
と惹句されている。句集名に因む句は、
夏しんと遠くめぐらす朝の森
によるが、元をたどると、「あとがき」の、
なお、「朝の森」という平明すぎる書名は、今から六十年前に初めて「馬酔木」の句会へ出席したことによる。三句提出で「噴水や遠くめぐらす朝の森」他二句を提出した。
当時選者であった水原秋櫻子先生は、この「噴水」の句を特選で採って下さり、他の二句については「同じ作者とも思えないほどひどい」という句評をされた。(中略)
水原秋櫻子先生が褒めて下さった「朝の森」、この言葉を現世にいる限り「生かしてみたい」、そんな気持での本集である。
どうか、きびしくやさしく読んで下されば八十七歳の私にとって、こんなうれしいことはない。
に辿りつく。ともあれ、集中よりいくつかの句を以下に挙げておこう。
声きつと初音のみなる避難地区
自省
としよりを演じてゐぬか花筵
開戦日がくるぞ渋谷の若い人
背に腹にしかと懐炉や生きてやる
どの人も少し少し不幸や祭笛
八月のちかづくにつれ足攣りし
昭和二十年秋停電と長雨と
さすらひの民まなうらに粥柱
父とつくりし防空壕よ八月よ
ひたすら立つ案山子の一生風が知る
鳴けるだけ鳴いて秋蟬死仕度
大牧広(おおまき・ひろし) 昭和6年東京生まれ。
谷佳紀第二句集『楽(らく)』(近代文芸社・2000年5月刊)↑
★閑話休題・・・谷佳紀「蜻蛉はすでに雨を散らした虹なのだ」(「海原」第5号より)・・12月19日に谷佳紀死去す、の報あり・・
「つぐみ」の津波古江津からもたらされた訃報である。谷佳紀は「つぐみ」の同人であった。数日前に届いた「海原」第5号には「光の衆」の一人で5句が掲載されている。楽しみにしていた彼の新たな作品をもう読むことはできない。愚生が谷佳紀に最初に会ったのは、多賀芳子の自宅で行われていた碧(みどり)の会の句会だった。その頃は、同人誌から結社誌に衣替えした「海程」を辞して(その後復帰されたが)、原満三寿と「ゴリラ」を発行していた。その後、「ゴリラ」を確か20号で廃刊にし、その後は個人誌「しろ」を出されていた。ウルトラマラソンをやられていた。だから、痩身のわりには頑健だろうと思っていた。ほぼ30年前のことである。つい先日は、遠藤若狭男(71歳)の訃にも接した。愚生も古稀だから面白くない、いやな気分だ。
余談だが、その「海原」に愚生も加えてもらっている遊句会の仲間の二人の句が「海原集」にあった。
秋晴やディラン・レノンと平和浴 たなべきよみ
夕暮の病(や)みし列島鳥渡る 武藤 幹
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