タクさんと最初に会ったのは24,5歳の頃であったろうか。その幾度めかのとき、まだ俳句界デビューをは果していない仁平勝を紹介してくれたのは彼だった。そして、彼が尊敬していた風倉匠には、没後も夫人に「豈」の表紙絵を提供してもらっている。
アクションやパフォーマンスというより、その若き日、愚生の宴会には欠かすことのできない演者だった。みんなが手拍子で歌う時代だった。美空ひばりは無類に上手だった(古澤栲名義の共著『美空ひばりー”歌う女王のすべて”ー』文春ビジュアル文庫・1990年がある)。当時はまだ無名に近かった金子由香利のレコードを擦り切れるほど聞いていた。その後は、たまに偶然に会うくらいで、庭劇場が始まってからは、タクさんに会わせたい人と同行して何度か観に行った。
本写真集には、宮本隆司の前書とでもいうべき「毎日、庭で首をくくっています」、さらに長井和博による解説とでもいうべき「午後八時発動」と「首くくり栲象 略歴」がすべて英訳を付して収載されている。その略歴によると、愚生が最初にタクさんのパフォーマンスを観たのは、1972年4月「妖精の思い出」(中野公会堂)での風倉匠との共演だったようである。
その宮本隆司「毎日、庭で首をくくっています」には、
家の引き戸からゆっくり出てきて、木の枝にかけられた縄に首をくくる栲象の行為は、不思議なことに清々しい。庭劇場のひっそりとした空間に極限まで弛緩した身体がそこに在る、ただそれだけ。その異様な名前とは違って身体の垂鉛が微かに振動するのみ。自殺行為ではない。修行僧の苦行でもない。秘儀的な身体行為とも違う。
と記している。末尾の写真撮影年月日の記録によると、2009年8月17日~2018年5月29日までとあった。また、演劇評論家の長井和博「午後八時発動」は、
(前略)しかし、何といっても、昭和三十年(一九九五)に建てられたという木造平屋の借家のせまい庭こそ、文字通りホームグランドだった。庭を体験した者ならだれもが頷くはずだが、濡れ縁を右手に、首輪を正面おくに見ながら片隅のベンチにすわっていると、なぜかふだんより耳が鋭敏になる。遠近さまざまな声や物音がくっきり聞こえてくる。季節にうまく風がそよげば、椿の花が一輪絶妙な間合いで、首を吊った男の額をかすめてポタリと落ちることもある。私たちはそうして、庭の内外に生起するいくつもの偶発や別様の時間の流れを感じとりながら、男の身体が静止し絶えまなく変容するさまを見る。いや、もう見ることはできない。
と玉文の最後を結んでいる。じつは、今年の夏、長井和博の取材をうけたときに、名刺がないので名刺代わりにといただいた著書が『劇を隠すー岩松了論』(勁草書房)だった。その帯には,
1986年、/それは静かな事件だった。/観客を笑わせまいとする喜劇/「お茶と説教」から、/フロイトとラカンをくぐり抜けた/無意識劇「市ヶ尾の坂へ」。/現代演劇の鬼才・岩松了の/隠蔽の詩学を読み解く。
とじつに魅力的な惹句があって、少しずつページを追っているのだが、遅々として、いまだに読み通せていない。
長井和博著『劇を隠すー岩松了論』↑
悼・首くくり栲象
栲(たく)よまた吹かれる風に吊り上ぐ椿 恒行
宮本隆司(みやもと・りゅうじ)1947年、東京生まれ。
長井和博(ながい・かずひろ) 1954年、東京生まれ。
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