「面」124号(面俳句会)の特集は「追悼 髙橋龍」である。表紙裏には献句されて、
あぢさゐの地獄を花とおもひけり 髙橋 龍
とある。北川美美が「後記」の冒頭に、
発行人である高橋龍さんが一月二十日に逝去された。 (中略)
一月八日に入院された龍さんは御自宅への原稿到着を幾度も確認し、退院後の編集作業に意気込んでいらしたそうだ。巻頭の宮路さん、北上さん、扉絵の桶谷律さんへは龍さんが依頼していた。よって今回の発行人は高橋龍のままとした。発行人本人の追悼号という奇妙な体裁だが、今後の面について、編集を引き継ぐアピールと思われることを懸念してのことだ。
と記している。特集には、遠山陽子編「高橋龍『面』作品抄」42句。高橋龍の散文の抄出3篇、追悼句(岩片仁次他)35句と髙柳蕗子の1首。追想記には、「面」同人等。略年譜は今泉康弘、著作目録には酒巻英一郎が協力している。
他にも、本号には「悼・山口澄子」の記事がある。角川「俳句」(昭和37年4月号掲載「白い奈落」30句と小論「発言」・山口澄子、昭和5年生)が再掲載されている。追悼句は二句、
きびしくもやさしき筆の人に謝す 山本鬼之介
片蔭の途切れ山口澄子死す 北川美美
以下に本号「面」各同人の一人一句を挙げておきたい。
真相はさうではなくて亀鳴けり 宮路久子
葛湯吹くまだ哀しみには触れず 北上正枝
屑かごへハラスメントを鬼やらい 網野月を
夜は帰るつもりの鍵をかけ春嵐 池田澄子
母ヲ去リ
邦ヲ去リ
水漬ク頤 上田 玄
去年今年遺言状は手つかずに 衣斐ちづ子
芝浜の落ちの近づく火鉢かな 岡田一夫
背の肉に沈む背骨や秋暑し 北川美美
おぼろにて迷路に見えぬ迷路かな 黒川俊郎
噛んで脱ぐ皮の手袋漱石忌 小林幹彦
百歳の乳房うるわし草雲雀 渋川京子
思ひ種あれば咲きたり忘れ草 島 一木
石段で躓く果ての春うらら 田口鷹生
白夜めく街扉把手(ドアノブ)のショールーム 遠山陽子
夢を見た結果のこむら返りです とくぐいち
またの世の花時を云い薨れり 福田葉子
金太郎のふるさとマップ敏雄の忌 三橋孝子
異体字の名字のをんな秋扇 山本鬼之介
宮刑を賜りしかば寒なまこ 山本左門
流星の重さだらうか風邪心地 吉田加津代
そして、追悼特集・高橋龍「面」作品抄から、いくつか挙げておこう。
眼のくぼに海くらき面流しけり 龍
十字架に上(のぼ)れば見える朝の海
徘徊は和歌のやつしを虎が雨
死ぬる者あらかたは死に草蛍
蒼ざめた馬繋がれて芽吹かぬ木
逝く水の下ゆく水も春の水
『日本海軍』と幻の戦艦
駿河(するが)/烟(けぶ)れり/況(いはむ)や近江(あふみ)/
夏霞(なつがすみ)
初日拝(おろが)む高屋窓秋の忌なりけり
青山を飛び立つ鴉白泉忌
キリスト者弘達雁の空仰ぐ
生前は死後に語られ秋深む
懐かしのブンガワンソロ三橋忌
御無体もこよひは為(な)されひめはじめ
注(ちゅう)・((かつこ)退位は隠居)(かつことづ)
山川に秋/蝉丸を蟬翁は
最期に、抄出された散文から、さらに以下に抄出引用しておきたい。「句集『後南朝』ながすぎる『あとがき』」(2001年7月8日)からの結び部分である。
(前略)このような年表あそびの日々のうちに、この史上の南北朝に戦後俳壇の二つの流れを擬えるような考えが次第に生まれてきた。
その擬えの北朝とは、俳句形式を、その形式により、外的な事象、自然や社会、内的な事象、心理や理想、その何事も書けると信じる人たちである。
他方、擬えの南朝とは、俳句型式が書けるのは俳句のみで、しかも、現事態としてではなく、可能性の潜勢態としてである、と思うひとたちである。花田清輝のひそみにならえば、箱が大事か箱の中身が大事かでもある。
最後の最後、紙幅なく、ここは恐縮だが、愚生を含む「豈」同人のみの追悼献句を以下にとどめておこう。
龍天に登るには未だ寒いのに 池田澄子
龍天に青枯れの葉を玩味するか 大井恒行
一角獣全裸の処女に従ひぬ 北川美美
龍さんは
無可有のはうへ
行くんだね 酒巻英一郎
高橋氏は江戸川区一之江の住なり。
余もまた十数年来、同区北葛西にあり。
冷雨蕭々たる春の夜、翁の登仙に思ひを遣りて。
白玉楼中あれ御近所の後南朝 高山れおな
深悼
ドラゴン・虚空・炎上・性・大神咒 筑紫磐井
命終の杖芽吹かんか又の世に 福田葉子
髙橋龍(たかはし・りゅう)1929年5月8日~2019年1月20日。享年89.千葉県流山生まれ。
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