「里」No.188(2018年11月号・里俳句会)、島田牙城は「あとがき」に、遅刊を回復するのは、月二冊ずつ刊行するとして本年9月になると記している。「里」にはしばらく平成時代が残るのだ(イイネ!)。今でこそ、多くの俳誌がきちんと刊行日を守って刊行されているが、愚生が若いころ、いやもっと昔は、さまざまな事情があって、俳誌の遅刊は当たり前だった。攝津時代の「豈」は3年間も出なかったことがあり、それを自慢している同人がいるというので、攝津幸彦は自身、嘆いていたことがあったくらいだ。
とはいえ、「里」は今号も、特集の「谷口智行著『熊野、魂の系譜Ⅱ 熊野概論』評」を含め、読み応え、かつ興味ある内容が豊富である。谷口智行著の特集にからめたわけではないが、堀下翔「里程秀句」の、「10月号作品評」では、
秋めくも秋めかざるも秋なれや
「あきめく」を雰囲気たっぷりに引き伸ばしてみせたのがこの句の妙味。誤解している人も多いが「なれや」という連語中の断定の助動詞「なれ」の活用形は命令形ではない。秋であれ、ということではないのだ。実はこれは已然形で、「や」を係助詞と解釈すれば疑問・反語の「秋だろうか」となり、間投助詞と解釈すれば詠嘆の「秋だなあ」になる。味読の際にはご注意あれ。この句は当然後者。
と、ある。あるいは、田中惣一郎「俳句史を想うということ」には、楠本憲吉句集『隠花植物』(版元を変え三度刊行されている)をめぐって、その最初の刊行である「なだ万隠花植物刊行会」のものは表題が「陰花植物」であると述べ、長くなるが以下に抄出する。
(前略)句集の中身についてはこの際措く。この題簽の表記が違っている点について、磐井は現物を表紙以外は見たことがなかったため気づかなかったようだが、なだ万本の『隠花植物』の題簽は、誰あろう、久米正雄の手によるものなのだ。
ちなみに本書には編集者として髙柳重信に名が見え、校訂に重信の弟で、印刷所を持っていた高柳年雄の名もあるから、この句集刊行は髙柳重信肝煎のものであったろう。
全く推測に過ぎないのではあるけれど、しかし、私はここに歴とした純な憧れを見る。権威への、ではなく、歴史に対するそれをである。彼らは久米に託して、久米へ、そして碧梧桐へ、失われつつある歴史を夢見たのではないか。
誰が言い出してこの大儀を取り付けてきたかもはや知るべくもないが、久米正雄の題簽なればこそ、誤表記といえど替えられなかったのだろう。久米はこの句集刊行の翌年三月一日に亡くなった。
これもまた、俳句史への美しい夢であるにちがいない。
★閑話休題・・金子兜太「遊牧のごとし十二車輛編成列車」(「遊牧」NO.120より)・・
「遊牧」NO.120(遊牧社)は創刊20周年記念号である。上掲の兜太の句は、兜太に誌名「遊牧」の許しを得たものである。各同人の自選15句とミニエッセイが寄せられている。なかに、大畑等の句もある。彼のミニエッセイはないものの「遊牧」代表の塩野谷仁が句を選んでくれている。彼が亡くなって三年が経つのだ。享年65だった。生きていれば、現俳協の現在を、間違いなく有望視され、背負っていく一人になったはずである。ここでは、その大畑等と「豈」同人の坂間恒子、そして本誌代表・塩野谷仁の一人一句を以下に挙げておこう。
あかいあかい四万六千日のバッハ 大畑 等
次の間の椿が声をあげており 坂間恒子
たしかなる霧となるまで霧歩く 塩野谷仁
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