2019年7月7日日曜日

山本敏倖「たんぽぽ月夜すべての蓋を外しけり」(『「山河」創刊70周年合同句集』より)・・・


挨拶する「山河」代表・山本敏倖氏↑


功労賞の右から松井国央・金谷サダ子・沖和子各氏↑




 昨日7月6日(土)は「山河」創刊70周年記念祝賀会(於:アルカディア市ヶ谷)だった。愚生は、本誌に、昨年から(今年で終わり、次期は宮崎斗士)、一つのキーワードと無季、春夏秋冬を含む二つのテーマを詠み込む企画「競作・チャレンジ俳句」の選句と、選評をやらせていただいている。「山河」は、昭和24年に小倉緑村が創刊、加藤あきと、松井国央、そして、「豈」同人でもある山本敏倖が4代目の代表を継いでいる。三代目の松井国央とは、愚生が現代俳句協会青年部員を辞した直後くらいに、先日、亡くなられた大牧広と三人で現代俳句通信講座を務めたときにお会いしてからの大先輩である。思えば、すでに鬼籍に入られた三好夜叉男、寺井禾青もいた。そしていまはLOTUS同人の豊口陽子もいた。会場で、久しぶりにお会いした金谷サダ子は90歳(多賀芳子「碧の会」で句座を共にしたこともあえう)、70歳の愚生も「私のこどものようなものね・・・」と元気いっぱい、「俳句があるから元気!」と仰っていた。来賓のなかで、隣の席になっていた宮崎斗士は、ほぼ同時刻に行われていた「公開シンポジウム『兜太俳句の晩年』」(ゆいの森あらかわ)で、司会の役目を終えて駈けつけた(夫人の芹沢愛子と一緒に)。同じテーブルには、ほかに川辺幸一、栗林浩、松澤雅世、渡辺誠一郎が居た。
 山本敏倖は挨拶で「『山河』は、これまでも、伝統と革新と普遍性を追求し、常に新・新・深を探求し、個性を自由に育てることを歩んできたが、加えて時代の次の俳句を目指して努力していきたい」の述べた。
 ともあれ、以下に「山河」のこれまでの代表者の句を挙げておきたい。

   青峡に沈みゆく触覚だけを残し     小倉緑村
   日当たりのいい球形の目覚めかな   加藤あきと
   父抜けてゆきし網戸を母も抜け     松井国央
   千年を一行にして滝凍る        山本敏倖 

愚生の挨拶で献じた祝句は、

  山と河呼び交わしては七十年(ななととせ)  恒行



   府中市中央文化センターの子どもたちによる七夕飾り↑

★閑話休題・・「第18回 七夕まつり」(東京四季出版・アルカディア市ヶ谷)・・


 今夜も本来であれば、俳句四季大賞・宇多喜代子『森へ』、特別賞・大久保白村『花の暦は日々新た』、「俳句四季」第7回新人賞・吉田篤子、第19回全国俳句大会大賞・大森藍のお祝いに馳せ参じなければならないところだったが、愚生が、府中市シルバー人材センターの請負業務で、7月1日から、職場が府中市中央文化センターに変わり、これまでの芸術劇場分館勤務の、愚生にとっては天職、天国のようなところから、ハードな中央文化、シルバー人材センターの理想である短時間・軽微な仕事というにはチョッピリ厳しい業務・・ということで、さすがに土日の連休をとっての、祝賀の会に参加するわけにもいかず、いまだ慣れない労働をしていた。
 まあ、ボンビーひまなし、死ぬまで働けということにちがいない。よって、これまで、自由にとれた休みもままならないようなので、皆様へは、多々失礼をするかもしれない。お許し願いたい。もちろん、万難を排してのことは、当然ありますので、皆さんの御慈愛にすがりたい。

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