2019年7月16日火曜日
永島靖子「花野にて母抱きしことひたすらに哀しかりしが淡くなりしか」(『冬の落暉を』)・・
永島靖子『冬の落暉をー俳句と日本語』(邑書林)、著者4冊目の散文集。第一章に「俳句時評」(「鷹」平成22年~2年間)、第二章に「俳句随感」(折々の随想・追悼文「鷹」に連載の「遠近往来」から)、第三章に「『鷹』編集後記(「鷹」昭和50年~55年)、第四章に「経歴一通」(総合誌の依頼による執筆に補筆)を収載してある。著者「あとがき」によると、書名は邑書林社主・島田牙城によるという。また、
拙句に〈廃駅あり冬の落暉を見るために〉があるが、冬の字は、本書に先立つ拙著の題に夏、秋の文字を冠しているので、今回は冬。しかして、次なる春を期すという。
と記されている。その季節の文字を含む著書は、エッセイ集『夏の光ー俳句の周辺』(書肆季節社)と随想集『秋のひかりにー俳句の現場』(紅書房)である。他に評論集『俳句の世界』(書肆季節社)があるので、女性俳人としては、同じ「鷹」で競われた飯島晴子同様に論作、両輪の作家であることがわかる。
第一章「「俳句時評」は、著者自身も述べているが、「執筆時より十年近く経ち、何とも出し遅れの証文の感があるが、その頃の時代証言になる部分も多少はあろうし、執筆者としては、それなりの意見開陳した積もりもあり、それらを現今の俳壇状況や世相に向けて発信しておきたく思うのである」(あとがき)といい、そこにはいまだ古びない指摘がなされている。そして多くは、これからの俳句を担うであろう若い世代に対しての希望を、期待を込めているのが、後進へのよき叱咤と激励になっていよう。
この十年の時間の間隙には、「追記」として補筆されているので読者としては不自由はない。かつて、藤田湘子健在の「鷹」の記念会で、お会いして以来、お住まいが隣りの駅・西荻であったので、愚生の務めていた、今は無き吉祥寺弘栄堂書店にも、お顔を出されていたこともある。
ともあれ、本書では、最近に属する「情熱の句・歌集」の項を、以下に少しく引用しておきたい。それは、髙柳重信、楠本憲吉、塚本邦雄について書かれた掉尾の部分である。
結論的に、私が何よりも感動するのは、三冊に通底する情熱及び自恃と抵抗の念である。前記塚本の「解題」の一部を引いてみる。
われらは老いて行く。死者は永遠に若い。『隠花植物』は、『水葬物語』は、
そして『蕗子』は若い。私達が魂まで老いるなら、これらの處女詩歌集も死者に
なるだらう。
ある時の高柳重信の眼差を私は忘れない。高柳宅で話がたまたま塚本作品に及んだ際、「ああ『水葬物語』は僕の・・・」と言いつつ遠い所へ柔らかい懐旧の眼差を向けられたことを。それは、平素の舌鋒の鋭さとは異質のものだった。
スマホに見入る今日の青年達の胸にも、こうした熱い魂の生き続けていることを願う。
(「鷹」二〇一九年六月号)
少ないが、本書中の永島靖子の句歌から、
汗と紙と万年筆や重信忌 靖子
桐の花嘆きは薄き紙につつむ
ゆふぐれの一睡深し松の花
新聞紙大の春愁ありにけり
さびしさも透きとほりけり若楓
窓よぎる蝶よ小鳥よときどきは私の小さき怒りの的よ
ほたほたと蛇(くちなは)に肩叩かるる詩歌の道のはるけきものを
幾重にもたたみスカーフ一枚を死出の旅路の花冠とせむか
永島靖子(ながしま・やすこ) 1931年、京城(現・ソウル)生まれ。
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