2019年12月21日土曜日

桑原正紀「使用済みのオムツを包む新聞の皺にゆがめる宰相の貌」(「俳句四季」1月号)・・

 


「俳句四季」一月号(東京四季出版)の記事のなかに「俳句と短歌の10作」競泳という企画が毎号あって、一月号は、桑原正紀と愚生であった。各人10首(句)とエッセイに加えて、当該作品に関するお互いのエッセイも付した、なかなか緊張する企画だったけれど、編集部からの依頼ながら、同年生まれのそれも、愚生にとっては、またとない競泳相手を選んで下さったものだと、感謝している。その彼が、遠出がなかなかできない事情を汲んでか、わざわざ愚生の住む府中まで出かけて来てくださった。恐縮の他はない。初対面であったが、愚生が仕事に入る前の午後の3時間余りをあったという間に過した。 
 

その折りに、第一歌集文庫(現代短歌社)の『火の陰翳』をも恵んで頂いた。そになかに、愚生のエッセイの「献上一句」と題した、

  死者たちの成らざる声や雪月花      恒行

 の本歌が収められている。

 死ぬことは〈言(こと)〉切るること使者たちの遂に成らざる声想ふべし  正紀

 が、そうだ。エッセイのタイトルにしたが、編集部は、最初、これがタイトルだとは思われなかったらしい。タイトルを付すよう求められた。愚生は、本歌の作者だけにはわかるだろう、と思い、この献上一句をタイトルにしておいたのだった。
 ともあれ、本誌一月同号より、いくつかの彼の歌と愚生の句を挙げておきたい。

 独り居のしづけき庭をよぎりゆく猫あり初日に毛をひからせて    正紀
 褻の食を済ませて施設の妻訪へりきのふのごとくをととひのごとく
 これの世のすこし外(はづ)れてゐる妻を車椅子にて乗せ初日に温む
 手を洗ふときいつまでも石鹸をこねこねこねこねこねまはす妻 
 山の端に落暉しづみ果つるまで見てをり余命などおもひつつ

 愚生の駄句は、

 一月はすでに汚れり香港革命      恒行

 に始まり、

 一月の神は知らずよ悉皆草木

 で終る10句である。

 桑原正紀(くわばら・まさき) 1948年、広島県三次市生まれ。



            撮影・一読者より 玉川上水 ↑

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