2021年7月25日日曜日

葛原妙子「出口なき死海の水は輝きて蒸発のくるしみを宿命とせり」(「詩歌の森」第92号より)

 


 「詩歌の森」(日本現代詩歌文学館館報)第92号、ブログタイトルにした短歌は、関川夏央「葛原妙子(くずはらたえこ)の衝撃」より。その中に、


 (前略)それ以後の「前衛短歌運動」に焦点を当て、寺山修司が亡くなる一九八三年までの三十年間を『現代短歌 そのこころみ』という本に書いた。

 書き終えて十七年、短歌とは縁が薄くなったが、今も時折、記憶した短歌が口をつくことがある。そのひとりが葛原妙子である。

  奔馬ひとつ冬のかすみの奥に消ゆわれのみが累々と子をもてりけり

 五〇年、四十三歳の彼女が中井英夫の『短歌研究』に投稿した歌である。歌人としては異例に遅いデビューである。

 五十代に入って、妙子の歌は変貌する。

  おほいなる雪山いま全盲 かがやくそらのもとにめしひたり 

  噴水は疾風にたふれ噴きゐたり 凛々(りり)たりきらめける冬の浪費よ (中略)

 どの歌集にも「師、もしくは師系に関する謝意あるいは表敬の辞が一行もない」ことに気づいた塚本邦雄は、「倨傲なるべし葛原妙子」という言葉を贈った。(中略)

 短歌は一瞬を固定すると同時に、歴史そのものを批評する力がある。そう私に実感させた葛原妙子は、カトリックの洗礼を受けた五か月後の八五年九月、七十八歳で亡くなった。


 とあった。その他、川柳作家・新家完司「人間はおもしろい」、俳人・山田佳乃「ヘッセ詩集」、朝日新聞記者・佐々波幸子「啄木の時代からつなぐバトン」、詩人・八木幹夫「詩心を求めてⅡ-時限爆弾としての俳句」などのエッセイがそれぞれに面白い。それらのエッセイのなかから、いくつかの句を以下に挙げておこう。


  久しぶりに閉めた雨戸に指挟む    井上和子

  寝転んでテレビ体操見ています    岸本 清

  東京の天気予報も聞いておく     谷口 義

  タクシーも地下街までは来てくれぬ  戸倉求芽

  東京のパパはじしゅくで帰らないぼくは今年もブラックウイーク

                        (藤枝市)小五 石塚文人

  鶴羽をひろげ朝かげ放ちけり     山田弘子

  参観後青田まで来て母怒る      今井 聖

  桜咲くどすんと象はうんこして    坪内稔典

  天高く柱燃えたり流れたり      池田澄子

  敗戦日化けてでも出てくりゃいいに  辻 征夫

  弾痕の塀を背中にマンゴー売る    草野早苗




    芽夢野うのき「向日葵であるべきひまわり仰ぎ淋し」↑

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