關考一第1句集『ジントニックをもう一杯(ひとつ)』(ふらんす堂)、序は中原道夫、その中に、
この關考一という男、一人っ子で育ったこともあってか、どこか天真爛漫、無邪気な処もあって妙に明るい。鰥生活で有り余る時間は小説など読み耽り、落語もどのくらいのめり込んだ時期があったのか知らないが、博覧の上に噺家の声音遣いもやってのける。
夏足袋や毎度ばかばかしき噺
寄席で培った”ばかばかしき”噺の味(エキス)が、後半では滲み出て、これこそが彼の持ち味、目指す方向のひとつなのではと思わせる。
と記されている。また、著者「あとがき」には、
危うく狸を轢きそうになった。
ヘッドライトの光の隅をヒョッコラ、ヒョッコラ、俯いて、走るとも歩むとも無く一心に向かって来る。
五〇キロ程で車が行き来する県道で、なり振り構わず急ブレーキを踏んだ。
「だめか」と思われた刹那、狸はL字にターンして、見れば運転席側の窓の下を、蓑を着たような丸っこい背中が後ろへ動いて行く。(中略)
あの狸は存外、強かなのかも知れない。しかし不格好だ。でも狸の煎餅はとんと見ないし、野生の癖に文明や世間の流れにも意外に適応している様だ。
よし、間抜けに見えても不格好でも、右往左往、一七音の試行錯誤を繰り返しつつ人生の往還を渡って行こう。これも俳味と云うものかも知れない。
ここに、穴から這い出た如き拙い句集が世に出た。
と、あった。ちなみに、集名に因む句は、
虹失せぬジントニックをもう一杯(ひとつ) 考一
であろう。ともあれ、集中より、愚生好みに偏するがいくつかの句を挙げておこう。
君乗るやかくも小さき瓜の馬
むかでむかで死してみじかくなりにけり
行く春を千住の雨が引きとめむ
千住素盞雄神社
大丸は父の編みたる茅の輪なり
山笑ふ田もまた笑ふ水鏡
煮大根含めば雪の味したる
ニンゲンにアース必要青き踏む
仰向いて蟬である日の終わり来る
雁行や眼瞑らねば見えねども
読初に音読できぬもの開く
弁当を使ふ速さよ三尺寝
ベランダを一夜仕立ての月見舟
テーブルはもう薫風に出してある
九竅(きうけう)のかくも居良いか風邪の神
宝船やはり転覆してしまふ
神の留守穴(とぼそ)・突起(とまら)にあそびかな
初風呂や命の嵩の湯が溢る
燃え上がる性格にして焚火番
關考一(せき・こういち) 1963年、埼玉県川口市生まれ。
撮影・鈴木純一「TOKYOいま梅雨(アメ)に下むく化粧かな」↑
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