佐藤文香第三句集『菊は雪』(左右社)、そのいきさつについては同送された「quca THE FINNAL」が「『菊は雪』刊行記念特集」で、佐藤文香と太田ユリの特別対談を行っている。その他のいきさつについても、「あとがき」代りの巻末に添えられた横書きの「菊雪日記」に縷縷述べられている。特別対談の中では、
佐藤 (前略)だから、まずは一番尊敬している同世代の俳句作家たちを信じて、句集を作ろうと思った。自分は、俳句の真ん中を見るときは上を見ているんだけど、外を見るときは平行にみている。自分じゃないところまで行けるような仕事をしているとき、外に開こうという視線ではないんだよね。外向きの視野を一旦捨てることによって、より価値のあるものが作れると思った、という感じです。
と述べられている。本文の文字が小さいので、愚生などのロートルには、要天眼鏡である(これはガマンするしかない。なにしろ佐藤文香には文香の志がある)。しかも、古世代の愚生には「菊と雪」ときたら、もう一気に戦前の昭和維新の歌に直結して、2・26事件を思い浮かべてしまうほど・・・。与太話はこれくらいにして、「菊雪日記」からは、攝津幸彦関連のところを引用しておきたい。
3/27 古書店で攝津幸彦句集『陸々集』(弘栄堂書店)を発見。仁平勝による別冊「『陸々集』を読むための現代俳句入門」もセット。1992年刊行。この日記を書き始めるときに、句集を読む際の攻略本のようなものになるだろうと書いたが、先に思いついた人がいるものだ。(中略)
『陸々集』と本書との大きな違いは、この日記を私自身が書いていることにある。もしかすると自分は今、佐藤文香のたった一人の親友としてこれを書いているのかもしれない。
とあった。じつは愚生が佐藤文香に初めて会ったのは、愚生の勤務先であった吉祥寺駅ビルの今は無き弘栄堂書店に、第一句集『海藻標本』(2008年刊)をみずから売り込みに来られたときだ。たぶん、ふらんす堂・山岡女史に紹介されてきたのであろうとおもうが、愚生はすでに書籍部門の担当を外れていたので、詩歌の担当者に、ちゃんと店頭に並べるように伝えたのであった。こうした営業は、なかなかできることではない。当時、句集と言っただけで、多くの書店では、けんもほろろ、とりつくすべもない冷たい仕打ちが待っていたはずである。ともあれ、愚生好みに偏するが、本集よりいくつかの句を以下に挙げておこう。
みづうみの氷るすべてがそのからだ 文香
不器男忌の身にあなたとは闇なるを
まつぼくり言葉は父をおぎないぬ
葉脈のわかれつくして氷雨かな
パターンで書ける俳句や敗戦日
これが淑気しあわせなどを書きはしない
特急に夏の一級河川かな
枯芭蕉かんかくによい風が吹く
鎌倉や雪のつもりの雨が降る
雪月花夏のかもめは夏の白
火は消えるとき火の声の冬の園
また来たんかと、夏、伊勢丹に思はれたり
木を過ぎて木々と出会ひぬずつと雪
香水瓶の菊は雪岱菊の頃
真菰枯れ折れたり沖は日の塒(ねぐら)
ほたるぶくろ君に逢ふのを君がゆるす
また逢ふならば喋ることなどない冬だ
身にうつす日毎の菊のふるまひを
ゆめにゆめかさねうちけし菊は雪
佐藤文香(さとう・あやか) 1985年、兵庫県神戸市生まれ。
撮影・鈴木純一「梅雨晴間聰太翔平午後六時」↑
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