2022年3月7日月曜日

松田ひろむ「秘するは花マスクは秘すにあらねども」(「鷗座」第425号・3月号)・・


 「鷗座」第425号・3月号(鷗座俳句会)、松田ひろむ「新俳句入門・番外編/師弟の道も恋に似る」の中の小見出し「師弟の愛憎」の部分に、


 〈かなかなや師弟の道も恋に似る〉(瀧春一)今日は藤田湘子『俳句の方法』(角川書店』を読む。本の内容は、湘子が俳句を始めてから、第一句集を刊行するまでの話だが、その大きなテーマは水原秋桜子との師弟愛憎模様である。(中略)

 (引用・〈愚生注:湘子の言葉〉

 瀧春一氏は新しい時代に生きる俳句のために、季語の桎梏を開放しなければならないといふ主張の下に、その主宰する「暖流」に新俳句綱領をかかげ、水原先生に無季容認をもとめた。(中略)

 それを敢えてしたのは、瀧氏の自信と、一種の弟子として甘へがあつたのかもしれない。師弟は争つたのではなく、お互いに相手の態度の変わることを願つたが、結局瀧春一氏は、〈蜩や師弟の道は恋に似る〉の一句を残して二十年相共に歩んだ「馬酔木」の道を離れて行つた(引用了)

「蜩や」の句は後年推敲し、「かなかなや」に改作したようである。

 

他に「瀧春一のこと。」の項に、


 現在では高屋窓秋はともかく、有馬登良夫を知るものはいない。しかし現代俳句協会の

創立にあたっては西の西東三鬼、東の有馬登良夫と称された存在で、かれは現代俳句協会の初代幹事長となり、しかも現代俳句協会の所在地は自宅であった。

 高屋窓秋と有馬登良夫は、瀧春一の「暖流」に参加し、無季容認の旗を振っている。


 とあった。また「阿部筲人のこと」の項で、阿部筲人(あべ・しょうじん)の『俳句ー四合目からの出発』(1984年、文一出版のちに講談社学術文庫)にふれて、愚生のブログ「大井恒行の日日彼是」から、すっかり失念していたが、2014年1月7日付け「句碑あれこれ」を引用、紹介して下さっている。そういえば、こんなことも書いたことがあったな、と思い出した。とはいえ、今でも、俳句入門書で、読んでおきたい一冊があるとするなら、この本を推している。とりわけ、伝統派を自認する方にはお薦めである。ともあれ、本号より、「招待席」の芹沢愛子の句を紹介しておきたい。


  「Me Too」とかすかな声が菊人形      芹沢愛子



 ところで、本号同人蘭の「酒杯あく間に田遊びの唄はじむ」「しばれるにああしばれると言い交す」の後藤よしみは、「小熊座」に「高柳重信の軌跡」(3月号で33回目)を数年に渡って連載されている後藤よしみと同一人なのであろうか。「小熊座」3月号との句柄「雪兎瞳とけゆくとき哭きぬ」「原発を馬塞にて囲み冬薔薇」とが相当に違うので、やはり同姓同名の別人の方ではなかろうかと思ったりした(埼玉が同じなので、やはり同一人かな・・)。ともあれ、本号より、幾人かの句を挙げておこう。


  能管の内側紅し春の雪       中條千枝 

  凍鶴になり切れぬ鶴空仰ぐ    長谷川ヱミ

  「北越雪譜」ふくら雀と良寛と   石口 榮

  神将は一段低し寒晴るる     白石みずき

  熱燗をぐいぐい幼馴染の訃     荒井 類 

  春よこい旅行鞄を詰めなおし    高橋透水



     撮影・芽夢野うのき「葉牡丹のもう何もほしくない渦」↑

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