三世代合同句集『俳壇坂本の会』(文學の森)、帯の惹句に、
ある年、夏休みの宿題から始まった一家の俳句作りは父母へと広がり、子どもたちの成人や結婚、引っ越など人生のさまざまな時を経て、いまや小学四年生の孫も加わりました。熊本・愛知・神奈川と場所は離れても、三世代にわたる俳句の交流はこれからも続いてゆきます。
とある。序文は、永田満徳「家族融和の句集」、跋文は今村潤子。その序の冒頭に、
合同句集『俳壇坂本の会』の成立には家族のLINEグループの「俳壇坂本の会」の存在が大きい。高穂さんの結婚により新しい家族が加わり、小室日和さんが五歳で「火神」「未来図」に投句を始めたのをきっかけに千穂さんが名付けたグループである。そのグループは家族の日常の話題とともに、結社誌への投句の際に、俳句を相談し合ったり、時には誤字脱字のチェックをしたりする俳句創作の場になっている。(中略)
句集『俳壇坂本の会』によって、家族の日常が俳句という形で思い出に刻まれ(節子)、なんでもない毎日を俳句に詠むことで、家族皆で歩んできた道が解る(千穂)ものになっている。ここに、俳句で繋がり、結びつき、家族が一体となった姿をみることができる。その意味で、坂本一家は、個人句集を出すことなど考えられず、家族単位で出してこそ、意味があったのである。
と記されている。また、跋文の最後には、
(前略)千穂さんの句に〈冬雲や晴れ食べてると言ふ息子〉という句がありますが、「冬雲」が「晴れ」を食べてると言ったのは息子の凛人さん(四歳)です。四歳にしてこの様なフレーズが出てくるということに感心しました。凛人さんも日和さんのように俳句を作ってゆかれることと思います。次の合同句集には凛人さんの句も拝見できると楽しみにしています。
とあった。また、巻末には、各人の「あとがき」と「俳歴」が付されている。その中で、坂本節子は、
遠い昔の夏休み、リビングで子ども達が俳句の宿題をしていました。傍らで私も一句・・・と考えているうちに、続かぬ日記や家計簿の悩みも忘れ、俳句で暮らしを綴る楽しみを知りました。そして、なぜか心が軽くなっていきました。”癒しの俳句”それ以来、家族の俳句はリビングから生まれ、成長とともに、成人・就職・結婚を経て、今また娘・息子の新しいリビングへと俳句のある暮らしが続いています。孫の小さな指が折る五七五も加わり、今回二十五年間の家族の句集の形となりました。
とあった。そして、坂本真二は、「現在は『未来図』後継誌『磁石』にて、家族五人、新たな俳句の道を歩んでいる」と記している。ともあれ、以下に、句を各人幾つかずつ挙げておきたい。
しんまいがおいしいよるにおにぎりだ 小室日和(平成24年、名古屋市生まれ)
ねんがじょうポストにこびといそうだな
みずやりをみずでっぽうでやってみた
とうきょうでひろったおちばおめんだよ
あきのくれうごく歩道がおそかった
ネクタイをほどく速さや夏来たる 小室千穂(昭和61年、宇土市生まれ)
豪快にはみ出すぬり絵秋灯下
泣き声に乳の張りくる浅き春
流灯の止まらぬ夜のお線香(中三) 坂本高穂(平成2年、熊本・宇土市生まれ)
避難所の母のメールや梅雨出水
舞ひ上がる図面を押へ春一番
プラカード掲ぐ娘の夏帽子 坂本節子(昭和32年、鹿児島市生まれ)
熊本地震
壊滅の村にも凛と花菖蒲
序列なく生きて咲き終ふ彼岸花
春塵をはらひて娘旅立てり 坂本真二(昭和34年、熊本天草郡生まれ)
半夏生登校渋る子の迎へ
野火走る焼いてはならぬものを焼き
撮影・芽夢野うのき「白梅や鏡に何を置いてきたのか」↑
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