2014年5月16日金曜日

「現代俳句ノート第一号」・・・


「現代俳句ノート」は阿部完市と飯島晴子が二人で出していた冊子である。4号あたりまで続いていたように思うが、今、さまざまなコピーされたものの間からひょっと出てきたのは第一号である。
奥付には「昭和五十二年二月十五日発行 頒布300円 連絡先 飯島晴子」とあり、「後記」は(阿)と署名されているので阿部完市である。

  これは、二人のノートに非ず。ひとりひとりのノートである。◇このノートで、わたくしがわたくしだけに確認したことを、また、確認したいことを書き込んでおきたい。その意味で極私的ノート。◇一年間に二回ぐらい、このノートを提出する。◇はげしくありたい。

昭和52年(1977)といえば、完市49歳、晴子56歳の時である。たぶん、愚生は「俳句研究」に小さく載った広告を見て購読を申し込んだように思う。内容は完市・晴子がそれぞれ13句を発表。
散文は完市「わが作業『明日』」、晴子「現代俳句における俳句のリアリティーとは」と題して各7ページ、それぞれが最後にお互いの句を「一句鑑賞」というかたちで鑑賞しあっている。それには、完市は、

   冬の川十一面のばらまかれ     晴子

 (前略)十一面をばらまかれ、という「曖昧」な表現。その表「現」-うつつを表わすということ、そ  
 の表現志向の一固定を避けている、この作者のこのときの意識が、直に、ひたむきに書かれて
 いることを思ってよい。/志向性という本来一定であるべき方向指示の言葉を、歌い、一句に
 すれば、このようにまた、その志向一線が増幅され、華とされ、美しい美と定められる。この一
 句は、わたくしに、こう思え、と語りこのように華だ、と言っている。

一方、晴子は、

   いもうとの十一年その十一本の木のなかの    完市

 (前略)数詞のつくる世界の中で十一は際立って魅力がある。十一でなければ現れてこない、或
 る独特の美意識がある。/「いもうとの十一年その十一本の木のなかの」も、そういう美意識を
 抜きにしては享受出来ない。十一本の木の一本一本のなかに、いもうとの十一年が、あたかも
 箱の中のに箱が入れこになっているように入っている。或いは、いもうとの十一年は、十一本の
 木の立っているその空間である。「いもうと」と「十一」とで、この世から隔絶した可憐な世界をつ
 くっている。十一年と言っても、この句の時間は長く流れるものではなく、一つの塊りのような手
 応えを与えるところが、私の好きなところである。

と書いているのだが、掲載作品13句のなかに「十一」を読み込んだ句がそれぞれにあるのは、何か、合図をかわすように題を出し合ったのかもしれない(いや、晴子が出した題なのかもしれない)。阿部完市作品の冒頭は、「姉申す十一の市みえること」である。

   しだれやなぎのあおやぎののかなた図書館     完市
   出血の姉あらわれる竹あらわれる

   かくまはれ鮎をくはされゐたりけり          晴子
   さきほどのひとは盥に冷えてをりぬ 

お二人ともいまはおられない。晴子は2000年没、享年79.完市は2009年没、享年81。月日は流れる水のようにはやい。「現代俳句ノート」を手にしたのは、愚生29歳、冊子の名は記憶していたものの、内容については、すべて忘却していた。
   

                                                                        ヘビイチゴ↑

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