2017年2月22日水曜日

宮﨑莉々香「さざんかさくかさくかさかぬよははがきらひ」(「円錐」第72号)・・



「円錐」第72号の「俳句トス」という連載企画、セッターが一句を提示して、スパイカーがその句を解釈してみせるという趣向だ。なかなか面白い。いいトスでスパイカーの山田耕司は、いいところにスパイクを決めている。例えば、

俳句トス  私が多行俳句を苦手とするのは、これ迄にそれを書いたことがないからだろう。
                                                                               一句セッター  矢上新八
火は放たれき/内耳の/太古の/密林に   高原耕治  
                                                                           一句スパイカー 山田耕司

(前略)高柳重信が多行俳句の創始者というならば、したがってそれは過ちである。高柳は、すべての俳句作品の中に沈潜し内在する多行の要素を、見えるように取り出してみせた作家である。
 つまり、高柳重信という視点を得ることで、すべての俳句は多行作品の枠の中にあるものであると思い当たることが可能となったのだ。

その通りだと納得できる。もちろん多行の試み自体は、明治時代から、短歌もそうであったように俳句でもあった。いえば高柳は、多行作品を書くことに殉じた作家だったのだ。

また、こうも述べている。

 多行として構想され読解されることの大切な要素はいくつかあるが、その中でも最大の項目は、言葉なりをリニア(直線)で繋げるのではなく、逆行させたりあえて混線させたりすることで、意味情報として指し示していること以上のイマジネーションを読者の脳に発生させることであろう。

高原耕治の掲句については以下のように結んでいる。言い読みだと思う。

 ならば「密林」という語の斡旋は、もったいない。ジャングルの「なんでもあり」感は、ささやかな芸術的香気を、意味世界にがっさりさらっていってしまうからだ。作者はそのリスクをかねて理解していたかもしれないがあえてそうしてしまったのは、読者への配慮からか。あるいは読者への絶望が不足しているからか。

ともあれ、特別作品からの一人一句を以下に、

   羽切ると枕に聞こゆ寒禽よ     荒井みづえ
   白鳥の水の顔陸の顔思案顔     橋本七尾子
   運動会見下ろす父の肩車      原田もと子
   懐かしくでんして帰る茱萸の家    矢上新八
      【でんして帰る】 何かにタッチをして帰る
   ダム底となる一村の秋の色      丸喜久枝
   冬かもめ君たちに骨ぐみがある   宮﨑莉々香   



            撮影・葛城綾呂↑(自宅ベランダからだそうである)

閑話休題・・

訃報あり、中村裕氏、19日に逝去。家族にて密葬。後日偲ぶ会を予定らしい。
確か愚生と同年生まれだったような・・・早すぎるか。はるかにご冥福を祈る。

2 件のコメント:

  1. 大井恒行様

     「円錐」を丁寧にお読みくださりまことにありがとうございます。

     ホームページをつくってみました。

     御記事を紹介させていただくこと、おゆるしください。


    追記  中村裕さま ご逝去とのこと驚きました。
        ご冥福を祈り申し上げます。

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  2. わざわざ有難うございます。異存ありません。

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