2017年4月29日土曜日

酒巻英一郎「裏花や/わたくしあめの/外に濡れて」(「LOTUS」第35号)・・



 「LOTUS」第35号は特集「酒巻英一郎『阿多(多に口篇あり)喇句祠亞(アタラクシァ)」評。同人諸氏、同人外から執筆者をそろえ、遺句集即全句集を念願する酒巻英一郎三行表記50句の文字通り渾身の特集である。本誌以前に、そして以後もおそらく酒巻英一郎に関するかくも濃密な特集はないだろう、と思わせる内容である。50句一挙掲載、しかも各句に酒巻自身による「手引き」別添えで「季語」「motif」「語釈」付き。冒頭近くに九堂夜想による酒巻英一郎インタビュー「私と俳句そして多行形式」。さすがにインタビューは見事に韜晦の海に沈められてしまったが(もとより承知の聞き役だったろう)。
 論の中では、十分と思われる量を書いた田沼泰彦「『し』との別れー酒巻英一郎論序説」が酒巻英一郎の師・大岡頌司の句の在り様を描き、その延長線上に酒巻一郎とその作品を評してみせた説得力に指を屈する。論では冒頭に、

   ゆくからに
   角ぐむ蘆の
   言語像            英一郎

をあげ、最後に、

 つまり酒巻の「言語像」にとって、三行形式とは気がつけばそこに在る「おのごろ島」のような「肉体」であることがわかる。実はこの「形式=肉体」とは、俳句における唯一の「ロゴス=真理」に他ならない。そしてそれだけが、俳句形式におけるロゴスとして、常に言葉よりも先んじる存在なのだ。「私」という観念化し得ない気紛れな自我をもって、「ロゴス=真理」に対する「言語像」の優位性を担保しようとした酒巻が、「私」のアリバイ(=不在証明)を成就することで、形式という「ロゴス=真理」の、言葉に対する優位性を逆説的に現出させたことは、俳句における皮肉でも偶然でもないだろう。それは、酒巻が確信していようがいまいが、『阿多(口篇あり)喇句祠亞』の特筆に値する可能性を示している。

と結論している。他にもこの「言語像」の句に触れたものもあるが、さすがに念入りに大岡頌司をたどった高原耕治「言語像のエントロピー」は、大岡頌司句集『花見干潟』の跋に大岡がしるした、

 言語像と共に育つことを、いつからか望まざるを得なくなつた、彼の幼年が、三日を三年と、その遅れがちな言葉の意味に、他郷性を発見する消息については、まだまだ昧いやうである。

を指摘し、「酒巻の使用した言葉『言語像』のそれと同じ意味合いがあろう」と述べている。
話は少しもどるが、先の酒巻インタビューで「高原耕治さんが第二次「未定」を多行形式の専門誌として再出発させ」、さらに「その『未定』とうとう解散ということですが、はたして修羅場があったかどうか」と述べているので、(ついに同時代、唯一の「豈」の兄貴格だった「未定」が終わったとなれば、内実は別にして、「豈」の一人旅という淋しさを思ったのだった・・・)が、とはいえ、表健太郎が「滅亡のときを求めてー酒巻英一郎俳句論への試みー」で以下に述べたあたりは、ともに滅びることも辞さないという浪漫派の美学が伺えようというもの。

 三行形式はその構造が抱える悲劇の宿命により、言語を道連れにして、形式自らが己れの手で己の棺に釘を打たなければならないのだ。そして恐らく、いや確実に、三行形式は酒巻氏を最後の実践者として見事に滅びることになるだろう。仮に意思を継ぐ者が現れたとしても、大岡頌司と酒巻氏の見出したベクトル以外に、三行形式が発展できる余地は残されていない。

他は執筆者の名のみを挙げ、句をいくつか挙げておこう。
広瀬大志・今泉康弘・佐藤榮市・藤川夕海・丑丸敬史・古田嘉彦・松本光雄・鈴木純一・佐々木貴子。

   詳らかに
   具へて
   春の曙は        英一郎

   喚び入れて
   廻す
   山猫廻しかな

   艮の
   雨垂落ちの 
   虎が石




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