2017年4月6日木曜日

古田嘉彦「壊れたピアノ>機械仕掛けの門番」(『展翅板』)・・



古田嘉彦第三句集『展翅板』(邑書林)、巻末には、工房ノート(後書にかえて)が置かれているが、富澤赤黄男の「クロノスの舌」のように、時に、詩論でもあり、箴言でもあるようなよそおいである。工房とは書かれているが、それが一般的な俳句を書こうとする際の尺度には遠い、印象である。句自体の創造性は感じられるものの、そこに潜む、いや、信仰者としての姿勢、痕跡を読者は否が応でもたどることになるだろう。
とりわけ、後半の句群の前に置かれた詞書には、句との不即不離を訴えてくる。例えば、

  タヒチで、自殺しようとヒ素を持って山の方へ歩いていく間、ゴーギャンはずっと、描きあげたばかりの絵の題でもある「我々はどこから来たのか、我々は何物か、我々はどこへ行くのか」と呟いていたと知り、痛ましさが迫ってきた。信仰が無ければ、人生の道が開けず、異郷で孤独で、母国にいた最愛の娘に死なれた男に、この問いへの答えはないだろう。それは絶対にないと思う。

芽吹く日は涙の人へ嵩ばっていく 

いわゆるフツーの句集を読むのとは違う。ただ、それらの中で「強制」という言葉がいくつかの句に用いられ登場したので、二、三を挙げる。

  油断するとサファイア 強制的に空(そら)だから
  十日町を真似て猫を強いる染め方
  操縦士の硝子化よりも感情の強制

以下には、いくつか愚生の目に留まった句を挙げておきたい。

  抑えきれない鳥 全部糸は切った
  
  羽ばたきから眼を離すことができない。その羽ばたきから。
  過去の鷺から蹂躙みなぎる耳鳴りが

  空になじめぬ葛ノート覆い Soli Deo Gloria
                                              (神にのみ栄光)

  それまで正しいように見えていたことと全く違うところに神は道を示される。神が望まれることを、人は苦痛なしに行うことはできない。
  雨あがり夏衣に縫い針が残っている
 
古田嘉彦(ふるた・よしひこ)1951年、埼玉県生まれ。



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