2017年4月17日月曜日

久保純夫「褌が靡いていたる戦争よ」(『四照花亭日乗』)・・



 久保純夫第10句集『四照花亭日常』(儒艮の会)
久保純夫(くぼ・すみお)1949年、大阪府生まれ。1971年「花曜」入会、鈴木六林男に師事。本句集巻尾に記された略年譜をみるだけで、はるかに来つるものかな・・・感慨が生まれる。
久保純夫(当時は「純を」だった)に初めて会ったのは、京都のさとう野火宅だった。
愚生が終刊号のつもりで出した「立命俳句」第7号(1970年刊)を出した直後にわざわざ連絡をとってくれたのだった。その後、彼は「立命俳句」を引き継ぎ発行、さらに同人誌「獣園」をさとう野火を発行人にして立ち上げた。いわば。愚生が俳句同人誌に関わった最初だった。そして、すぐにも彼は第一句集『瑠璃薔薇館』を上梓、その後の第二句集『水渉記』、第三句集『聖樹』のそれぞれの版元である沖積舎、海風社とも愚生とは無縁ではない版元だった。そして1990年の評論集『スワンの不安』、第4句集『熊野集』(1993年)は愚生が務めていた弘栄堂書店を版元として出版された。また、その句集は彼の現代俳句協会賞受賞のきっかけともなった、想い出深いものだ。その受賞は、戦後生まれの俳人が久々に、それも40歳代で受賞する快挙だった。今回の冊子作りの第十句集も彼らしいといえば彼らしい出し方だと思った。「あとがき」にいう。

  この地に住むようになって10年。その歳月はいわば謐かなる激動の日日であったように想います。晴であれ、褻であれ、日常生活のなかにはさまざまな雑用が存在します。私はこの雑用のそれぞれを、自らの生きる姿勢として、智慧として、使命として、俳句を書いてきました。そのときどきを「儒艮」に発表してきたのです。
 ものは愛おしい。家の中で触る、目にする、使うものみなすべて。その想いからは、日本の、世界の、あらゆる状況が繋がっています。思想が生まれてくる刹那でありましょう。

幾つかの句を以下に、
   
     鈴木六林男先生の墓に参る
  瀧までの紅葉に染まり天香る
  片笑窪いつもさよならしておりぬ
  結婚はともに三度目青葡萄
  ひめみこのいずこに届く音叉かな
  半島(ペニンシュラ)を匕首という先師かな
  青春の罫紙に写す『火門集』
  たましいを喰い終わりたるなめくじら

『火門集』は阿部青鞋句集のことだろう。  
装丁は、夫人の久保彩。
末尾に句集の各章のタイトルとなった句から一句ずつを挙げておこう。
  
  野菜屑溜ればミネストローネかな    純夫
  形代やあなたもいっしょに波の下
  一斉にファスナーたちは馬鹿になり
  猫又と諍うている彩のこと
  酢橘風呂というはなけれど酢橘の湯
  ミニトマトアヌスコスモスエンプティ
  一株の水菜をくれし友の妻
  豆腐にもオリーブオイル丼に




  

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