2017年4月28日金曜日

鴇田智哉「人参を並べておけば分かるなり」(「MANO」第二十号より)・・



「MANO」第二十号(編集発行人・樋口由紀子)が、「川柳カード」に続いて、二十年間、二十号で終刊する。最後の同人は加藤久子、小池正博、佐藤みさ子、樋口由紀子。加藤と佐藤は東北人、小池と樋口は関西人。創刊号の同人には先年亡くなった石部明、他には倉本朝世が居た。MANOは終刊した。が、それでもそれぞれの歩みは始まるのだ。佐藤みさ子は言う。

 これから残り少ない時間を私はどうすればいいのだろう。いつ起こるかわからない天災。終わらない戦火。テロや難民。原発という負の遺産などを考えると、私の趣味など何になるのだろう。私個人の未来には、日々新たな老いと死があるのだが、それを楽しむ方法が川柳にはあるのかもしれない。

その佐藤みさ子論を小池正博が「佐藤みさ子ー虚無感とのたたかい」と題して書いている。一方、樋口由紀子は「言葉そのものへの関心ー鴇田智哉句集『凧と円柱』を読む」で、攝津幸彦と鴇田智哉に触れて以下のように記している。

 攝津幸彦は突然現れた怪人であった。私の句集『ゆうるりと』と第二句集『溶顔』はまるで別物で、同一川柳人のものとは思えないとよく言われたが、それは攝津幸彦の俳句に出合ったためである。川柳という概念、物を書く方法、言葉に対する意識など今まで漠然と持っていたものすべてが吹っ飛んでしまい、世界の見え方ががらりと変わってしまった。それと同様のものが鴇田智哉の俳句にあった。攝津幸彦レーンの俳人はもう出て来ないと思っていたので驚きであった。鴇田智哉は二人目の怪人になった。

たしかに樋口由紀子のいうように、当時、攝津幸彦の句はあきらかに新しかった。鴇田智哉も現在の世界の在り様をこの上なく体現している新しさがある(その根拠を明らかに言いとめられないのは無念だが、その感触はある)。鴇田智哉と違うのは、生前の攝津幸彦はほとんど無名だったこと(ごく一部ではもっとも有名だったが・・)。いつか宇多喜代子が「攝津が生きている時に、もっと、みんなセッツ,セッツと言ってあげれば良かったのに・・」と漏らしたことがある。
ともあれ、以下に終刊号から一人一句を挙げておこう。

  足洗う住所氏名が消えるまで      佐藤みさ子
  短いなら短いように舟に積む      樋口由紀子
  すったもんだのあげくに顔を上げる    加藤久子
  縛られた足は見せない共犯者       小池正博




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