2018年1月11日木曜日

藤沢雨紅「散(ちる)やけし花ならまじる日もあるに」(『松蔭集』)・・・



 「信州坂城の女流俳人ー藤沢雨紅俳句集『松蔭集』」(坂城町教育委員会)、坂城町長・山村弘「まえがき」によると、

 雨紅は本名を藤沢秀子といい、明和四年(一七六七)に生まれました。生家は不明で、一説には天明中興五傑の一人である加舎白雄(かやしらお)の姪とも云われているようですが、確かなことはわかりません。その後、坂本宿大門町で旅籠屋「大藤屋=大富士屋」を営んでいた藤沢清蔵に嫁ぎます。清蔵も貞雅と号する俳人でしたが、妻の名声には及ばなかった様です。

とある。そして「文政九年(一八二六)に『松蔭集』を著した雨紅は、弘化二年(一八五二)十月二日、七十九歳」で亡くなった。ブログタイトルの句は辞世の句で、満泉寺の墓標に刻まれているそうである。『松蔭集』は自身の還暦祝いとして出版された。序文は碓嶺(たいれい)が述べ、雨紅の自作が208句、江戸俳諧の大家をはじめ全国の俳人の発句、さらに雨紅とともに巻かれた歌仙、半歌仙、跋は亀房隠者(宮本八朗)を収載して、現代語訳を付して復刻されている。復刻版の巻頭言は朝吹英和「藤沢雨紅『松蔭集』を読む」。その巻頭言は、

  産土の自然や風物を詠った雨紅の俳句に通底する瑞々しい抒情や詩情は時代を超えて現代の我々の心に沁み渡る。

と結ばれている。ともあれ、いくつかの句を以下に挙げておこう。

   散(ちる)となく風の音あるさくらかな   雨紅
   水の音(ね)にまぎれぬ春の寒さ哉(かな)
   花といはゞ花とも言はん蕗の薹
   しづかさやあとの春見て落椿
   まつ風や松をはなれて松の聲
   竹にくる鳥は騒(さわが)し露しぐれ
   秋の暮おなじところに心よる
   初雪や松はまつにて有(あり)ながら
   寒声(かんごえ)や嵐ともなき夜の音

   うしろには松の上野を冬篭(ふゆごもり)  夏目成美
   時鳥鳴く空もちし山家(やまが)かな    小林一茶
   秋の暮山にももどるこゝろかな       児玉如水
   穂すゝきや其日その日の秋の草    雨紅世伜 我長



   







   
   

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