2020年8月13日木曜日

望月至高「花散って内蔵に根を広げゆく」(「奔」N.5)・・




 「奔」No.5(奔編集室)、特集は「70年元高校全共闘・2・11シンポジウムー半世紀の結集!!」と「コロナ・パンデミックーその棄民政策」。気鋭の論稿だと思うが、高齢の愚生には、なかなか難しい。とはいえ、「豈」同人の筑紫磐井「コロナ行動指針」、大橋愛由等「ほくそ笑むのは誰か」が執筆している。筑紫磐井はその「第三行動指針(究極の俳人の行動指針)で、

 この原稿を三月以降書き直してしているが、その間、白と黒ぐらいの結論の違うバージョンになっている。(中略)日本は今後長期にわたって海外からの受け入れを拒むことになるだろう。この原稿を書いているのは6月25日だが、この記事が発表になるころの変化は予測もできない。
 ただコロナの生物学的予測はできないが、人間の行動の原理については言えると思う。鎌倉時代の名著『一言芳談』の「しやせまし、せずやあらましと思ふことは、おほやうは、せぬはよきなり(しようかしまいか、迷うときは大体しない方がいいのだ)」は不滅の金言である。迷うこと自身で既に結論が出ているからだ。そして、これこそ、高齢者の、俳人の究極の行動指針なのである。

 と結んでいる。この伝でいくと、わが「豈」の句会も引き続き、忘年句会も、少なくとも、今年一杯はすべて中止になるだろう。いわば「第二行動指針(本当の『自粛の始まり)」なのだ。

 自粛が解除になったというが、これは本当の「自粛」ではない、戦前から続くお上の圧力の大きな成果であり、誰一人自分で判断して自制したものではない。こうした官製の「自粛」が終わった後で、初めて国民は自分で考えて「自粛」するのである(都知事は「自衛」と言っている)。(中略)
 自分や家族のために必要な場合は死ぬ気で行かざるを得ないが、宣伝に乗ってふわふわと買い物や旅行・遊興に出かけるのはこれを見るととてもできそうになさそうだ。

 と、あった。ともあれ、以前に増して小さくなってしまった本誌の俳句欄だが、一人一句を以下に挙げておきたい。

  呼ばれたり囚人番号にて寒夜      江里昭彦
  聖五月するもされるも夢心地      今井照容
  裏木戸で待つ神聖皇女の手毬唄    大橋愛由等
  三・一一以後の心身凍てしまま     望月至高
   安井浩司『牛尾心抄』に献ずより
  傾城やコロナの眠り祈るのみ      大井恒行 



撮影・鈴木純一、読み人忘れ「誤解したお前の方に非はあるが面倒なので誠に遺憾」↑

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