2020年8月20日木曜日

大井恒行「火は火のことをかの火祭の火のほこら」(小林主一写真展&大井恒行色紙短冊展)・・・・・ 




 とんでもないものが筥底から出てきた。紙ごみで捨てようとした中からこぼれた。処分する前に写真だけでもとってブログにアップすることにした。
 ガリ版刷の手製パンフレットには、

 〈小林主一写真展「遠い日の残像ー島根県津和野町ー」/大井恒行色紙短冊展〉
 1974年12月21日~12月23日 午前11時~午後7時
 F&F市民ホール7F展示場

 どのように贔屓目に見ても、出品されているこれらの作品は下手なのである。にもかかわらず厚顔に言えば、つねに人は、何がしかの企てを(その企ての内容を問わなければ)人生においてしようとするとうのも、また哀しい事実である。この運命に従う者には、つねに祝福ばかりが用意されているわけではないのだが・・・・。
 最後に、この合同展へポスターを描いて下さった小野画伯に感謝する。

と、思えば恥ずかしい言挙げがなされている。顧みれば、愚生26歳の時だ。さらに「合同展に寄す」の中ほどでは、
 
 (前略)二年前までは、少なくとも一句を書きつけることによって、いつでも俳句を棄ててもいいのだと念じ続けていたことは確かである。そうした僕にとっての最後の一句を放棄したことで二年を経過したのは、全くの皮肉といわねばなるまい。
「この一句で俳句を棄てる」勇気とは、ついに俳句を棄てきれないことの逆説にほかならぬことであった。
 従って、今回の短冊展は二年前までの句と、今回、合同展のために書き下ろした若干の句で構成されている。(以下略)

 と記されている。その小林主一は、故郷・日立市に帰郷して以来、音信がとだえ、すでに40年以上が経っている。元気で過ごしているであろうか。合同展に出した短冊も色紙もいまや無い。ブログタイトルにした「火は火のことをかの火祭の火のほこら」の句は、休俳する二年前の句で、とくに赤い大きな色紙に書いたので覚えていた。当時、なにかの雑誌の「20代作家特集」の際、赤尾兜子に、「作者はリフレインを研究中だ・・・」とコメントしていただいた句のひとつだったように思う。それとは別に「渦」の第66号(’72年6月号)が、「20代作家特集」で、先日、西川徹郎論を執筆するために、手元に置いてあったので、これも書影にした。愚生24歳の折だ。全ての句と、下段のミニエッセイのすべてを忘却していた。


              「渦」第66号(’72年6月号)↑

 この頃の若書きの作品(休俳2年以前)は、句集からすべて除外したので、この特集掲載の5句を、備忘の記念に、以下に再録しておくことを許されよ。愚生の最初の句集は自筆手書き50部限定の「秋(トキ)ノ詩(ウタ)」(私家版)である。句集装丁のアイデアは滝口修造の『地球創造説』を拝借した。現在の書肆山田・鈴木一民が勤めていた印刷所(新陰流兵法の師が上司だった)で作ってくれた。27歳の時だった。

  男女の耳はとがりだすその王国の目借時      恒行
  菜の花がくれそのくらがりの二の腕は
  入れ物が無い絵馬の男根両手流れ
  花瓶割れぎらつく舞いの陽は流る
  機影歌いて土蔵雲母のごとく果つ





★閑話休題・・・来る11月28日(土)「第7回俳句のつどい」(主催・日本現代詩歌文学館)・・・


 案内には、

 さて、当館では平成8年より4年に一度「現代俳人の集い」を行ってまいりましたが、今年度よりプログラムを変更し、「俳句の集い」と改称して開催することになりました。

 とあった。新館長・高野ムツオの仕事である。募集句選者は、岸本尚毅・神野紗季・阪西敦子・照井翠・成田一子、当日選者は高野ムツオ。合評のシンポジウムあり。

     作品募集
 ・締切  9月18日(金)当日消印有効
 ・応募料 2句1組/1000円
*詳細は、チラシ、または日本詩歌文学館のホームページをご覧下さい。




       撮影・鈴木純一「せみ落ちて時計まわりに鳴って止む」↑

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