2022年12月31日土曜日

三橋敏雄「待遠しき俳句は我や四季の国」(『三橋敏雄の百句』より)・・

 


  池田澄子『三橋敏雄の百句』(ふらんす堂)、巻末の「待遠しき俳句は我ー三橋敏雄」の中に、


 敏雄の俳句との関わり方は、よい趣味、というものではなかった。よい趣味として程よい俳句に出会っていたなら深入りはしなかった筈。戦場の先輩から誘われて出会ったそれは、芸術の神の采配によってか、風流韻事には遠かった。それは俳句の中心にあるめでたいものではなかった。

 後日、敏雄は、僕は少数派というところに思いがゆく人間、と言っていらした。まさに少数派との出会い、そして共感であった。(中略)

 話が大きく逸れるが、その高屋窓秋が句集『花の悲歌』纏める折、窓秋は、句稿を持って、国立から遠路、小田原の敏雄を訪ね、意見をも求められたのだった。敏雄は大先輩の信頼に応えるべく、一句一句丁寧に感想を述べたという。意見の異なる場合も、お互い率直に思いを述べ合われたそうだ。

  雪月花美神の罪は深かりき    窓秋

は、その段階では「美神の罪は重かりき」だったのだそうだ。「罪深い」という言葉もあって、「重い」よりも「深い」がよいのではにないかと敏雄は言ったのだそうだ。窓秋は、でもここには「折笠美秋」の「美」と、高柳重信の「重」が入っているのですよと、かなり主張なさったけれど、敏雄は譲らなかったそうだ。(中略)窓秋と、かなりの時間をかけて感想を述べ合い、話が終わって小田原駅の改札口までお見送りした。

 深くお辞儀をして、ほぼ放心状態で顔を上げ。扨て帰ろうと体の向きを変えながら、いつものように帽子を被ろうとした。ない!

 鞄の中にも、ズボンの後ポケットにも無い。 (中略)

 脱線ついでに記せば『花の悲歌』カバーの装幀、小さな芥子の花の絵は、糸大八、出版の労は大井恒行だった。


 とあった。その挿画の打ち合わせのための場所に、渋谷区松濤美術館を指定されたのは高屋窓秋。糸大八が渋谷駅近くにお住まいだったこともあるが、当時の松濤美術館2Fは、絵画を見ながら、お茶が飲めるソファーが置かれていた。窓秋お気に入りの美術館であった。その窓秋最後の単独句集となった『花の悲歌』(弘栄堂書店・1993年5月)の刊行は、ひとえに三橋敏雄の慫慂による。「窓秋さんは句を持っておられる。大井君が出したいと言えば、きっと出すと思うよ」と言われたのである。装幀は、先般、本年5月19日、77歳で亡くなられた亜鈴、こと書肆山田の大泉史世。遅れること約3ヵ月後の8月10日、愚生の妻・救仁郷由美子、享年72。思えば。俳号の救仁郷由美子の誕生は、池田澄子のひと言による。救仁郷の前は大井ゆみこの名で「琴座」同人。永田耕衣死去によって終刊した「琴座」から、「豈」への加入を勧めていただいたのも池田澄子。愚生も妻も同じ同人誌に居ることには躊躇があった。「名前を変えれば分からないわよ、『豈』に入れば・・」と言っていただいたのだ。さまざまな俳縁のお蔭で、愚生の成り行き人生もここまでくることが出来た、と言ってもいい。本書の結び近く、池田澄子は、


 新興俳句に始まり、戦火想望俳句を書き極め、昭和十五年の、新興俳句無季俳句弾圧事件を近く見て、最も近く親しく学ぶ対象であった俳人たちが、投獄され或いは執筆禁止を受け迫害を受ける様を傍で見た。

 俳句の上での反対勢力からではなく、軍国主義の国家によって成功に至らないまま前途を閉ざされた無季新興俳句と、その作者たち、そして戦争という理不尽なものに殺された人間の無念を、敏雄は忘れない。愚直に謙虚に一生そのことに拘り続けた。(中略)

 一途な少年は、そのまま一生を一途に生きた。常に新しく、しかし、過去に出会った人、過去に観たモノ、コトを忘れずに生きて、書いた。

 更には、各句集は、全く方法を異にしている。『まぼろしの鱶』が現代俳句協会賞を受けた時、敏雄は満足していなかった。僕の俳句はこれだけではない、と思ったのだそうだ。自身の作品が何かに到達してそれを纏めたら、敏雄はもはや其処に居ない。その方法で書きさえすれば、心配なく一応の評価は得られる書き方に到達したとき、その翌日、其処に敏雄は居ない。


 と記している。ここで澄子鑑賞句の一例を挙げておこう。


    むささびや大きくなりし夜の山   『靑の中』

 (前略)高尾山薬王院への参道に敏雄の句碑が建立されている。その句碑開眼除幕式の日には、六曲一双、十二句染筆の披露もあった。その句碑がこれ。昭和二十一年二十六歳のこの句。

 高尾山にはムササビが生息していて「ムササビの木」という大木があり句碑はそのすぐ近くにある。建立は大山隆玄貫主である。「大」「山」、そして「むささび」が詠み込まれているという見事な挨拶の句を敏雄は選んだ。(後略)


 ともあれ、以下に、本書中より、句のみなるがいくつかを挙げておきたい(あまりに、人口に膾炙した句ははずしたかも・・・)。


  鉄条網これの前後に血ながれたり  

  月夜から生まれし影を愛しけり

  新聞紙すっくと立ちて飛ぶ場末

  はつなつのひとさしゆびをもちゐんか

  一日(いちにち)の日負けのひふを抱き合ふ

  桃採の梯子を誰も降りて来ず

  高ぞらの誰もさはらぬ春の枝

  死に消えてひろごる君や夏の空

  あけたての戸道の減りや秋の風   

  木練柿滴滴たり矣(い)われも亦

  大年の黄の夕焼を窓の幸(さち)

  信ずれば平時の空や去年今年

  土は土に隠れて深し冬日向

  われ思はざるときも我あり籠枕


三橋敏雄(みつはし・としお)1930・11・8~2001・12・1、東京八王子生れ。

池田澄子(いけだ・すみこ)1936年、鎌倉生まれ、新潟育ち。



     芽夢野うのき「ゆきずりの山茶花にくる白き夕暮れ」↑

2022年12月30日金曜日

佐孝石画「冬木という眩しい肺が立っている」(『青草』)・・


 佐孝石画第一句集『青草』(俳句同人誌「狼」編集室)、「序に代えて」は金子兜太、跋文は、松本勇二「眩しい肺」、石川青狼「佐孝石画句集『青草』」。金子兜太はその中で、


   この道は夕焼けに毀されている

 これは夏の焼けるような夕焼け。しかも他の何ものもなくて、道が一本ぐっとあるという。「赤々と日はつれなくも秋の風」(芭蕉)、佐孝はこの句と同じ受け止め方ここに書いたと思う。

 映像としては、道が毀れるくらい激しい夕焼け、それだけなんだ。しかしその激しさだな、それを「毀されている」と書けたというのは、佐孝の若さだ。激しい孤独もあるわけで、これから人生の境目の第二段階に踏み込もうとしている感じがある。


 と記している。また、松本勇二は、


 (前略)俳句には言い切ること。断定が必要だ。ここに挙げた句群にはきっぱり断定されている切れ味がある。


と言い、石川青狼は、


(前略)佐孝の青臭さが好きと言ったが、青臭い意の、未熟であるということではなく、青草のような芳しいにおいがする青春性が根底にあるのだ。(中略)

 この句集の最大のテーマは自己の生き方で自問自答の中で、もがき苦しみ叫んでいる直情を臆することなく叩きつけている青臭さと、何よりもそれを支えている家族への並々ならぬ愛である。


 と述べる。また、著者「あとがき」には、


 初句集です。一句一句を恋文のように金子先生の元へ投句していた日々は、いつしか遠くへ過ぎ去ってしまいました。これまでの句をまとめてみると、あらためて、いかに不自然なテンションで作っていたのだろうと、赤面する思いもします。しかし、これから終生、俳句という文学形式を愛し続けるために、これまでの俳句をまとめ、Reスタートしたいと考えました。(中略)

 句集名『青草』は息子二人の名から取りました。彼らもまだ青い草であり、この青さを胸に抱く仲間として、季節を経て次のステージへ歩みを進めていけたらと思っております。


 とあった。佐孝石画のことで思い出すのは、、記憶に間違いがなければ、以前、愚生が現俳協の新人賞の選考委員をしていた時、彼の作品を授賞作に推し(もちろん、作品は無記名)、その場で、それが決まったことを知らせた顕彰部長からの電話で、彼が既発表作が一句混じっていたということで、辞退されたことである(当時、未発表作の規定あり)。じつに無念に思ったこと。その余のことは、記憶に無い。ともあれ、集中より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておこう。


  少年期白梅というか歯軋りというか      石画

  春星はおそらく与え合う距離だ

  わたくしも言問いの粒春の雨

  冬野という閉め忘れた窓があります

  息継ぎの足りぬ雲から雪になる

  白鳥来るいろんな沼を縫い合わせ

  音階の高みに枝の枯れゆくや

  雪が降る嗚咽のように啞のように

  夜のポストつぎつぎ谺が投函される

  鴉去る私が鴉になったあと


佐孝石画(さこう・せっかく) 1970年、福井県生まれ。



  

★閑話休題・・松林尚志「虎ふぐでジュゴンでありし兜太逝く」(「海原」NO,45より)・・


 佐孝石画つながりで「海原」no、45。安西篤の石画『青草 seiso』書評「庄倒する青春性」には、 


 (前略)佐孝は一句を成そうとする時、かなりの力技でもがき苦しむはずだが、その果ての天与のように、体からほとばしる言葉が授かるのではないか。その力感が、松本のいう「断定」に結びつくのかもしれない。(中略)

   冬木という圧倒的な居留守かな

 冬木の疎林を、圧倒的な居留守とは、作者ならではの若々しい不信の抗議。「居留守」を「圧倒的」とまで詠むのは、作者の内面の燃えあればこそといえよう。


 とあった。本紙本誌本号には、別に、「追悼 松林尚志」のページが組まれ、彼の『現代秀句 昭和二十年代以降の精鋭たち』より「金子兜太の俳句ー鑑賞と批評」が特集されている。山中葛子による彼の最後の句集『山法師』20句抄もある。

 愚生は縁あって、「俳句」(2023年2月号・1月25日発売)誌に、松林尚志追悼「静謐にして熱く」を寄稿させていただいた。改めて生前のご厚誼に感謝し、ご冥福をお祈りする。

 松林尚志(まつばやし・しょうし)、1930年、長野県生まれ、本年10月16日、胆管癌のため死去。享年92。

 


       撮影・中西ひろ美「空想の帆を張れ冬の男たち」↑

2022年12月29日木曜日

渡邉樹音「色褪せて聖樹は眠る月の昼」(第44回・メール×郵便切手「ことごと句会」)・・


  第44回・(メール×郵便切手)「ことごと句会」(12月17日付け)、兼題は「戻」+雑詠3句。以下に一人一句と、寸評を紹介しておこう。


  我が母の戦後の日々や冬菜なり      武藤 幹

  停車位置を百粍戻す冬の電車       金田一剛

  羊水に戻ってしまう日向ぼこ       江良純雄

  冬夕焼巻き戻しても違う色        渡邉樹音

  枇杷の花こんがらがって寂しくて    らふ亜沙弥

  警笛掠れ冬の工夫等立ち上がる      渡辺信子

  寒茜富士の裾野に隠れけり        照井三余

  大雪の二日三晩の街あかり        杦森松一

  ここよりは行けない冬の戻り橋      大井恒行


★寸評・・・

・「色褪せて聖樹は眠る月の昼」ー頼りない昼の月に観る聖樹を色褪せと詠む俳ならでは(三余)。ウクライナの街々。停電の中のクリスマスツリー。それでも子供たちは明るく喜んでいた。「月の昼」が良い(幹)。褪せた緑、月影の白、そして辺りは無音。冬の水彩画を見るような(信子)。

・「我が母の・・」ー「冬菜」にもう少し、キチンとした名のものが斡旋されていたら、もっと良かったのに。「冬菜」ではどうしても、比喩的に読めてしまうのが惜しい(恒行)。

「停車位置を・・」ー「を」か「の」のどちらかを削るとリズムが整うような・・(信子)

・「羊水に・・」ーたしかに日向ぼこの温みはそうかもしれないが・・(恒行)

「冬夕焼・・」ー中句・下句の「巻き戻しても違う色」が良い。一瞬の、その場限りの美しさ・・(幹)。

「枇杷の花・・」ー亜沙弥さんの「花詠み句」はいつも素敵です。観察眼も鋭くアイロニーもある。「勝手に年度賞」なら一連の亜沙弥さんの花詠み句です(剛)。

「警笛掠れ・・」ー句における光景がよく描かれていて、他の作品がけっこう感懐的、空想的であったのに比して、リアリズムの良さがあった(恒行)。

・「寒茜・・」ー何気ない光景。そこを切り取って見せたところ、富士の大きさが見える(恒行)。

・「大雪の・・」ー下五「街あかり」は雪明かりに違いないとおもうのだが・・、強いて言えば二日、三晩に時間の経過がある(恒行)。

「ここよりは・・」ー戻り橋は京都の伝説の橋のことでしょうか。歴史を感じ、足が止まります(松一)。





★閑話休題・・「Nostlgia 岡田博追悼」(ワイズ出版)・・・


         


挟込まれた挨拶状の中に、


 昨年亡くなりました「株式会社ボアール」「ワイズ出版」創業者・岡田博を偲ぶ『ワイズ出版展”Nostlgia”』にご参加いただきましたこと、心より感謝申し上げます。(中略)

 尚、遅くなりましたが”Nostalgia”展の前後で、皆様からいただきました沢山のお言葉をお纏めした文集が完成いたしました。(中略)

                                令和四年十二月

                   有限会社ワイズ出版・株式会社ボアール一同


 とあった。写真もふんだんにあり、便りを寄せた方々、愚生のは、本ブログからの転載だが、総勢、70余名に及ぶ。年譜もあり、その亡くなる年、2021年3月「日本映画ペンクラブ賞 奨励賞」受賞とあり、また、同年10月11日「新文芸坐にて『追悼・岡田博 銀幕に刻まれた映画への想い開催される』(第一回制作作品『無頼平野』を上映)」とあったのには、すこし救われた気がした。じつは、この映画と、第二作「樹の上の草魚」(石川淳志監督)に、愚生はエキストラで出演させられている。ともあれ、ご冥福を祈る。

 岡田博(おかだ・ひろし)、小倉市(現・北九州市)生まれ。2020年8月27日死去、享年72。


    尽忠の映画の海に逝かしめき    恒行 



           芽夢野うのき「煤逃げの男は蒼き葱畑」↑

2022年12月27日火曜日

三橋敏雄「絶滅のかの狼を連れ歩く」(『秀句を生むテーマ』)・・


 坂口昌弘『秀句を生むテーマ』(文學の森)、その「あとがき」に、


 本書は月刊「俳句界」に五十一回連載した「秀句のテーマ」をまとめたものである。

 人が生きる上で大切なテーマを取り上げた。(中略)

 本書を書く発端は、今まで多くの俳人論、句集論を書いてきてテーマで俳句作品史を見直すことの必要性を痛感したからである。優れた俳人の優れた俳句作品が、一体何を主題に句を読んでいるのかという観点から十数年間評論を書いて来たので、作品のテーマ(モチーフ)といあった、秀句の秀句たるゆえんの根本は何かということに深い関心があった。(中略)

 仏教・キリスト教は、自然の四季と「命」の関係を語らない。荘子は石や瓦礫にも「道」があり「命」があるとし、その影響を受けた中国仏教は草木国土悉皆成仏の思想を作り、大乗仏教の「仏」は神と魂の一種に変貌した。「命」は大切であり、危機の時人は、「命」の健康・延命を願い、「神」や「仏」に「祈り」を捧げる。祈りはその効果がないときでも、人は切に祈らざるを得ない。詩歌俳句は祈りとなる。(中略)

 ものの存在を真剣に考える人は、命の根源を求めて「道」を求める。命の維持のため、宇宙の存在を理解するために人は「科学」の真理を求める。医学・薬学も科学の領域であり、病を無くし「死」を避け不老長寿のために存在する。科学を追究すると、この世の見えない「力」に気づく。宇宙空間の多くは「闇」であり、「光」が生まれた「闇」を意識する。この世の「命」は「光」のおかげで発生して目に見える存在となり、「色」がつく。

 真面目なことばかりでは人生が面白くないから「笑」を求める。俳句・俳諧のルーツに諧謔・滑稽があり、「笑」が元気を与える。人は真理・真実だけでは生きられず、時には「雪女」「他界」を空想し、「夢」を見る。現実の私とは別に「夢」の中の蝶と化し「「俳句」文学が存在する。


とあった。ここでは、「火ー火は禱り」の項から少しだが、紹介しておこう。


  いつせいに柱の燃ゆる都かな    敏雄

 三橋敏雄論といえば多くは戦争句を論じる。「柱の燃ゆる」とは、「神をも戦死者をも含む御霊の幾柱かが一斉に燃え上がる景」であるという言葉は、敏雄を師とした池田澄子のユニークな解釈である。神を柱と呼ぶのは古代中国の道教にルーツがあるが、神や霊が燃えるというのは異色な想像である。


 という。そう言えば、愚生は二十代の頃、「火は火のことをかの火祭の火のほこら」という句を作ったことがある。「渦」の二十代作家特集に、この句を含めて、赤尾兜子が取り上げ、たしか「いま、リフレインを研究している」と評されたことがあったことを思い出した。もう50年以上前のことだ。ともあれ、本書中より、アトランダムになるがいくつかの一題一句を挙げておこう。


  なほしばしこの世をめぐる花行脚     黒田杏子

  水の地球すこしはなれて春の月     正木ゆう子

  鳥の目に雪降るはひとつの奇跡     宇多喜代子

  凍蝶の魂離さざるごとし        稲畑廣太郎

  海流の濃きをしるべに鳥帰る       能村研三

  狼を山の神とし滴れる          加古宗也

  瀧壺に瀧活けてある眺めかな       中原道夫

  美しき被曝もありや桃花水       渡辺誠一郎

  詩神撒く枯れの光に立ち尽くす      仙田洋子

  星涼しもの書くときも病むときも    大木あまり

  法皇の好みし黄なり初蝶来        大石悦子

  億年のどこか繋がるしじみ蝶       花谷 清

  ひまわりの遠心力のなかに居り      奥坂まや

  蛍火の明滅脈を診るごとく        細谷喨々

  髪洗うたび流されていく純情       対馬康子    

  魂は色を持たざり紅椿          星野高士

  はくれんの祈りの天にとどきけり    日下野由季

  鉄線花我が転生に猫もよし        寺井谷子

  雪女あかごを抱いてゐたさうな      姜 琪東

  柱なき原子炉建国記念の日       恩田侑布子

  第三次世界大戦前走りつづける蟻の群れ  大井恒行

  人死ぬやこゑ萬緑に溺れつつ       高橋睦郎 



     撮影・中西ひろ美「数え美も柚子色めでる頃となり」↑

2022年12月26日月曜日

秋尾敏「永遠の夕映えいつか必ず手を組む舞踏」(『自句自解ベスト100 秋尾敏』)・・


 『自句自解ベスト100 秋尾敏』(ふらんす堂)、巻末の「俳句をつくる上でわたしが大切にしている三つのこと」に、


 1 世界観、あるいは状況認識

 詩歌は、ごく個人的な言葉によって、既存の状況認識をつきやぶり、新たな世界観を提示しようとする。

 つまり、世界は暗いと思っている人を明るさに導き、無力だと思っている人に可能性を与え、何でも許されると思っている人に、それは違うと囁きかける。(中略)

 それらが成功するかどうかは問題ではない。そういう言葉を発することが重要なのだ。(中略)

 詩人は、それらの世界観に働きかける。世界は、君が思っているのとはちょっと違った、もう少しまともで美しいものなのだ、と。

2 韻律とリアリズムの相克 (中略)

 俳句の〈音通〉は、五七五の句切れ目を、同じ母音、または子音でつなぐ手法である。

  古池や蛙飛びこむ水の音    芭蕉

 この句の場合、五七五の切れ目の「やか」がa音の母音で共通しており、七五の句切れの「むみ」がm音の子音で共通している。これが〈音通〉である。

 江戸時代には、比較的よく知られた技法だったはずだが、、大正時代以降は廃れた。(中略)〈音通〉は〈口伝〉となったために、〈秘伝〉のように考えられるようになり、神秘性を加えられ、数々の迷信を生んだと思われる。(中略)こうしたこともあって、近代になり、〈迷信〉として忘れられていったのだろう。

 しかし、〈音通〉の本質は〈調べ〉である。作品の韻律をなめらかに整えるための手法なのである。

3 ラングとパロール (中略)

 個人のパロールが、社会的ラングをどれほど変形させられるか。詩歌とは、そうした営みであろう。(中略)例えば季語には〈本意本情〉というものがあって、とりあえずそれは共通認識ということになっている。(中略)

 そうなのである。言葉の意味には、ほぼ客観的に共通認識が成立している部分と、主観的に一部の人どうしが了解し合っている部分があり、さらに、内面に生まれたばかりの新たな意味もある。これは季語にかぎったことではない。

 したがって、季語の〈本意本情〉を固定的なものと見ることはできない。(中略)

 個人の〈内面〉はデータ蓄積の偏倚の場であり、その偏倚が、パロールという個人的な〈突飛な〉言葉を生み出す。

 しかし、実はこのモデルこそが、原始の昔からの言語モデルではなかろうか。そもそも言語を〈内面〉という場に想定していたことが間違いなのであった。思考は常に外部のデータが投影されているのである。

 俳句は、連句ほどではないが、やはり言語が関係性の中で培われていくことを教えてくれる。それぞれの俳人には、俳句についての知識の〈情報〉の偏倚があり、その偏倚が、個人的な(突飛な〉俳句を生み出し、その個人的な(突飛な)表現が周囲に影響を与えていく。こんな面白いことはない。

 言い換えれば俳人たちはみな不完全なのであって、その不完全さの生み出す突飛さが、言葉をゆたかにしていくのである。


 とあった。自句自解の一例のみになるが挙げておきたい。


   ピーマンの輪切りの彼方まで夏野

 輪切りにしたピーマンをつまんで目の前にぶらさげてみた。いささか芝居じみているが、ルネ・マグリット風の世界観で遊んでみたかったのである。ピーマンも夏の季語になるが、作者の意識としては、この句の季語は夏野。高屋窓秋を想いながら詠んだ。あなたの夏野は、今も私の脳裏に広がっている、と。

 「の」「の」「野」というo音の脚韻は意識的。「輪」「彼」「夏」のaの頭韻は偶然のようなものだが、そこにoとaの対照性が生まれている。俳句の調べは重要だ。ほぼ感覚的なものだが、私の場合、意図的に作り出すこともある。    (『納まらぬ』平成十三年)


以下には、本書より、句のみなるが、愚生好みにいくつかの句を挙げておきたい。


  岬からはじまる戦後秋つばめ

  手に掬うべきものあまた寒の水

  冬木の芽なり憤怒にはあらず

  遠い約束ひまわりに火を貰う

  ヒロシマにブレンドされている何か

  忘却がみんな桜になっている

  幾万の蛍昭和という谷に

  原発に下萠ゆるとは怖ろしき

  忘れないための消しゴム原爆忌 

  母の掌幾度も咲いて毛糸玉

  陽炎の骨あるように立にけり

  雷兆す体よ僕に付いてこい


  窓秋忌声潜めれば紙乾く

   この句には、高屋窓秋の忌日は一月一日だから、それを詠む人は少ないが、高橋龍さんの〈終わりなき年の始の窓秋忌〉や大井恒行さんの〈歳旦の箸置きいくつ窓秋忌〉など味わい深い句もある。窓秋が元旦に没した年の七月二十九日に父が没した。平成十一年は忘れようのない年である。(中略)         (『ふりみだす』平成二十六年)


 と、龍さんともども、愚生句を紹介していただいている(ありがとう)


 秋尾敏(あきお・びん) 1950年、埼玉県北葛飾郡吉川町(現・吉川市)生まれ。



          芽夢野うのき「雲ひとつなき空や彼岸まで冬」↑

2022年12月25日日曜日

姜琪東「下駄はいて日本の正月しか知らず」(「俳句界」2023年1月号より)・・

          

 

「俳句界」2023年1月号(文學の森)、特集は「必読!俳人たちの名文」と「思わずうなる!上五・下五」である。が、本号の表紙には記されていないが、姜琪東の久々の登場は特筆すべきであろう。特別対談・姜琪東(文學の森顧問)とアドリアン・カルボネ(ルーヴェン大学准教授)「五七五のリズムを守りながら訳す」である。カルボネは高校時代池袋の城西大学附属高校に在学し、また北海道大学では客員教授を務めたことがあるらしい。現在は、ルーヴェン大学の韓国研究センターに居て、そこで姜琪東第二句集『身世打鈴(シンセタリョン)』(1997年刊・石風社)に出会ったという。その対談の中で、


カルボネ なぜそのタイトルに?

 姜   「身の上話」という意味だからね。

カルボネ あとがきには、「いわゆる〈句集〉ではない。俳句という表現形式による一人の在日韓国人による自叙伝」だとありましたね。(中略)ぜひ訳してみたいです。俳句ですから、できれば対訳(注・原文に並べて訳文をしめすこと)のような形がいいですね。フランス語にすることは、意味があると思います。(中略)

 下駄はいて日本の正月しか知らず

これを自分ならどう訳すかなと考えました。やはり俳句ですから形も決まっているし、それをどう訳せば良いのかを考えると、なるべくリズムもそのままにするのが望ましいですね。それで、〈Je ne connais que /le nouvel an japonais/ geta aux pieds〉と。

 姜   フランス語の語調がいいね。

カルボネ やはり、俳句は五七五ですから。このリズムを全く守らない訳者もいますが、私はフランス語でも五七五にしなきゃいけないとおもうんですよね。ですから、「じゅ・ぬ・こ・ね・く/る・ぬ・ゔぇ・らん・じゃ・ぽ・ね/げ・た・お・ぴ・え」になるんです。(中略)ですから、こういうふうに先生の句集を訳したい。


とあった。

 アドリアン・カルボネ(1985年フランス生まれ)。姜琪東(かん・きどん)1937年高知県生まれ)。愚生は、かつて、文學の森に数年、勤務していたが、入社する前に、偶然に属するが、姜琪東句集の『身世打鈴』は読んでいた。現在、85歳ほどになられていると思うが、ご健在のようである。慶賀。ブログ(2020年9月25日付「大井恒行の日日彼是」)にも書いたことがあるので、そこから他の姜琪東の句をいくつか紹介しておこう。


  水汲みに出て月拝むチマの母       琪東

  大山も姜(カン)もわが名よ賀状来る

  冬怒涛帰化は屈服父の言

  残る燕在日われをかすめ飛ぶ

  帰化せよと妻泣く夜の青葉木菟

  ビール酌むにつぽん人の貌をして

  鳳仙花はじけて遠き父母のくに

  父の意にそむき日本の注連飾る

  ひぐらしや嬰に添ひ寝して帰化迷ふ


ほかに、本誌本号には池田澄子「私の一冊」(『啄木寫眞帖』吉田子羊)と小澤實の特別作品21句があった。


  行く用のなき古里の雪予報      澄子

     田尻得次郎

  自首させる友情ありぬ秋のかぜ     實 



        撮影・中西ひろ美「凩や親戚の誰かれに似て」↑

2022年12月24日土曜日

斉藤志歩「水と茶を選べて水の漱石忌」(『水と茶』)・・・

           


 斉藤志歩第一句集『水と茶』(左右社)、企画協力に佐藤文香。2014年から2022年までの256句が収められている。解説は岸本尚毅、その中に、


 俳句を作るとき、あるいは読むとき、どんなところに拘るのか。この句集にこんな句があります。

   手の甲にカーテン支ふ冬の月

(中略)日常の事柄をさりげなく詠った作品です。作者の感じたことがそのまま伝わります。この作品がもたらす作用は、「伝達」というより、「再生」に近いかもしれません。作者が拘って選んだ言葉が読者の想像力に働きかけ、作者の体験が読者の頭の中で「再生」されるのです。(中略)

   まだ黒くなる芋虫の骸かな

 生きものの死にざまをリアルに詠んだこの作品にも、作者の好奇心に満ちた眼ざしが感じられます。(中略)

 この句集を読んで感じられるのは、とにかく、作者が楽しそうであり、俳句を通じて人生を面白そうに眺めている、ということです。われわれ読者もまた、この作者が遭遇する俳句現象を、面白がって眺めようではありませんか。


 とあった。ただ、愚生に不満があるとすれば、現代仮名遣いの方が、斎藤志歩の作品は、より活きるように思われたことであった。「俳句は現代詩である」とは堀田季何の言葉だが、こうした、若い人の作品を読むと、やはり、俳句の言葉もまた、時代を負っていると思うのだ。ともあれ、愚生好みに偏するが、集中よりいくつかの句を挙げておこう。


  バーの名の光れる路を提げゆく

  けふは肉あすは魚に年忘

  山眠るゆふぐれの鳥ふところに

  冬雲や焼肉を締めくくるガム

  東風吹くや鞄を出づる犬のかほ

  つくし野のつくしのまばらなるところ

  散る花に風の行く手のつまびらか

  秋風やきりんの首のよく見ゆる

  長き夜やひとり暮らしのトイレに鍵

  霜月や呼べばすぐ来る待合せ

  冬林檎歌へばちがふ声になる

  

 斉藤志歩(さいとう・しほ) 1992年生まれ。


★閑話休題・・斉藤志歩「木の実落つ今は手元にこの栞」(「むじな 2022」通巻6号より)・・


 斉藤志歩つながりで、「むじな 2022」通巻6号(むじな発行所)、特集は「斉藤志歩句集『水と茶』」。執筆陣は西村麒麟「薔薇」、千倉由穂「暮らすことの朗らかさ」、暮田真名「(酒量と同量の)水と茶」、榊原絋「私は斉藤。俳句をやっています」。一句鑑賞は板倉ケンタ・今泉礼奈・松本てふこ・西村結子・田口鬱金・浅川芳直。以下に、一人一句を挙げておこう。


  集落に人影蜘蛛の狩しづか        浅川芳直

  飛びのいている人がいる亀の鳴く     有川周志

  言霊のまず枯れそうな春の風邪     一関なつみ

  副賞の一本は温泉でありぬべし   うにがわえりも

  夏椿を記憶の蓋にして閉じる      及川真梨子

  段ボール箱に匿ひ竈馬          工藤 吹

  わづらひて八月の果つ九月また      斉藤志歩

  つま先の先つぽにつぼ春を待つ      漣波瑠斗

  曰く付きの橋夕焼沈む橋         佐藤 幸

  初めてのキャッチャー役や水温む     島貫 悟

  風船を母星に帰らせてあげる      菅原はなめ 

  良宵や隣家の「♪オ風呂ガ沸キマシタ」 鈴木あすみ 

  等比数列第n項に蜂           鈴木萌晏

  子鯨のうねりゆっくり胎動く       須藤 結

  梅酒瓶抱へし胸に実の泳ぐ        田口鬱金

  春風や骨美しきアーケード        武 元気

  卒業す『To LOVEる』全巻返却し    谷村行海

  島国に一島ほどの夏の雲         千倉由穂

  春風やメンバーカラーの緑着る      千田洋平

  みつ豆の今嚙んだのは豆のとこ      西野結子

  あざあざと傘差す音の祭かな       弓木あき

  シニヨンが電車の窓に触れて霧      吉沢美香

  地下通路浴衣にマスクきゃらきゃらと   米 七丸

  藪漕ぎの腕に刺さりし夏薊        若井未緒 



         撮影・鈴木純一「落葉ふむ

                 誰も死なない映画だった

                 ね」          ↑