その民芸館でいま「文字の美ー工芸的な文字の世界」展が開催中である。民芸館の辛夷の花も咲き始めていた。
パンフレット解説文によると、柳宗悦は、
美しい文字は個人の性(さが)を超えていることを挙げています。ここでの個人とは自我を指します。自我に執着すればそれは作為として敏感に反映され、美から遠のくと述べました。従って個人に属さない文字や社会共有の公的な文字は、より美と交わりやすく、また、非個人の文字が美しくなる要素は、伝統への帰着や文字の間接化であると説明しています。(中略)
ちなみに個人の文字を書いた代表には、中国・東晋時代の王義之を引いています。しかし義之の書が漢代や同じ六朝期に刻まれた碑文の美しさに及ばないこと、くわえて義之から書の堕落が始ったことを指摘しました。
と記され、あるいは、
美しい書にはどこか模様としての美しさがある。此の意味で凡ての美しい書は工藝的に美しいと云っていい。文字に工藝化が来ないと美しくはならない。美しければどこか工藝的な所がある。
とも述べているようです。
理屈はどうあれ、展示されていた拓本や陶器、染め織、紙布などに表された文字には静謐でありながら、ごこかに人間の営みの痕跡が留められているように思えた。
辛夷はや咲くばかりにて空あらん 恒行
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